Search
Calendar
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< July 2018 >>
twitter
Profile
Recommend
ひとりぼっちを抱きしめて
ひとりぼっちを抱きしめて (JUGEMレビュー »)
日本糖尿病協会,荻原 友未,滝井 正人
過食症になった1型糖尿病の女性と医師の往復書簡
New Entries
Category
Recent Comment
Recent Trackback
Archives
Links
mobile
qrcode
RSSATOM 無料ブログ作成サービス JUGEM
母方祖母のこと

 私は少し、母方の祖母に幻想のようなものを抱いている。

 母方の祖母は遠くに住んでいて、小さい頃から年に一回も会えなかったのでどう接してよいかわからず、孫である私たちが小学生の時から何を言われても祖母に敬語を使い、何か買ってあげると言われてもいいです、と断るのを嘆いて、子供らしくない、張り合いが無いと母に言っていたというのを母からそのまんま聞いて(言う母もどうかと思うが)、自分が悪いんだな、好かれていないんだろうと思い込んで、特にこちらから何かをすることは無かった。東京の家では父方の祖母と同居していて、こっちの祖母が母方を良く思っていない様子で、母の実家に夏休みなどに一緒に帰省することはあったが何か不手際があると拗ねて大変だった。うちでは両親、子供達と父方祖母という一家が家族という認識で、そこによその人や親せきが入り込むのを極度に嫌がる雰囲気があったので、私は親戚だけでなく近所の大人と話すこともほとんどなかった。私の友達のことも親は気に入っていなかったし、そういう友達がたまに入り込んで、家の雰囲気を壊すようなことをしたら私が随分と怒られた。多分、排他的な一家だったと思う。

 

 母方祖母は女学生の頃学徒動員で自宅から遠いところの工場で飛行機を作っていたらしいが、自宅県に原爆が落とされ、急いで戻ってきて怪我人の看護をしていた。そのせいで二次被曝した。そういうのもあるのか体が弱く、私が高校生の時に大きな病気をしたときに、自分が被曝したせいなんじゃないかと悩んでいたらしい。それも母に聞いたが、会話すら初対面の人とのようになってしまうのに、というか電話番号も住所もわからない状態で、子供が勝手に親戚に連絡して親に怒られないか、ばかり気にして、どうすればよいかわからなかったので、おばあちゃんのせいじゃ無いよと言うことができないままになったのが気にかかっている。

 

 母のきょうだいが離婚してうちの隣に引っ越してきた時、母方の祖母が孫達を心配してしばらく一緒に隣に住んでいた。うちの母にとっても親戚なので、私の小学生中学生のいとこたちがうちに遊びに来ることもあった。ピアノの上手い子だったのでうちの親の許可を得てピアノを弾いたりしていた。同居していた父方の祖母はそれが気に入らず、うちにきてピアノなんて触って、勝手な事をしてといつも口汚く文句を言っていたが、多分自分が追い出されるんじゃないかという不安があったんだろう。ある時大爆発して、あいつらを家に入れるなら自分が出ていく! と大騒ぎして、いとこたちと母方の祖母はそれ以来うちに来なくなった。

 母方祖母は私が結婚して家を出てから時々手紙をくれた。丁寧な字で、誕生日おめでとうとお金や物を一緒に送ってくれたりして、私は少し戸惑っていたけれど、母によると、遠くに住んでいて、母の兄弟の方の孫達にはいろいろ世話したりしてあげたのに私には何もできなかったのがかわいそうと言っていたそうだ。多分、他の人から見ると私は冷たい、もっと自主的に母方祖母に何かしてあげればいいのにと思われるだろうと思う。だから母方祖母のことを誰にも言えなかったし、私が悪いんだと自分を責めることしかできなかった。でも祖母は私のそういうところをもしかしたら心配してくれていたのかもしれない。私が生きるのがつらくてしょうがない時に何もできなかった、と祖母こそが思っていてくれていたのかもしれない。

 

 母方祖母は私に子供が生まれる少し前に亡くなった。私は冷たいので、他の親戚については正直社交辞令以上にはあまり思わないけれど、あの祖母にだけは、子供を連れて見せに行きたかったと思う。私の心はいつもすごく麻痺していて、人の死に対して物凄く鈍感になっている部分があるけれど、ぼんやりと、ただおばあちゃんありがとう、とただそれだけ素直に言えばよかったのだ、と思う。少なくとも私がずっと恐れていたように、そうしたことで何だその口のききかたは、などと怒られることも罵られることも無かったに違いないのだ。あのおばあちゃんに限って言えば。

 

JUGEMテーマ:日記・一般

web拍手 by FC2
posted by: nanori | 思い出 | 12:17 | comments(2) | trackbacks(0) |-
 歯が痛くて眠れないのでたまにはお人形以外のおはなしも。
 私は昭和生まれで結構古いタイプの家庭で育てられたのですが、私の世代でもまだまだ古い考えに捕らわれて生きていて、ああしてみたかった、けど……もっとこういうことをしてみたかった、けど……多分、過去に戻れたとしてもそんなに自由に生きる道を選べない、あれでも生きるか死ぬかのところで一生懸命馬鹿な頭で考えて、戦って、ぶん殴られて、負けてどうしようもなくなってふらっふら限界の所を歩いてここまで来たのだから、その中であれこれできたことだけでも結構自分で評価しているのです。

 実家では結婚するまでは親の管理のもとで生きる半人前、という認識だったようで、特に女の一人旅はできませんでした。保護者同伴無しの旅行は基本的に禁止で、大学の卒業旅行でも職場旅行でも普通に親がついて来たりしていて、まあ何かおかしいなとは思いつつ現実的に家を出してもらえないので仕方なく言う通りにして、大学のサークルの合宿など例外として、日程表と民宿の連絡先を提出して、向こうで女友達に家に電話してもらって「今なのりさんと一緒に合宿に来て皆で楽しくやってます」と言ってもらうと、一応それでよしとされていました。「自分は物わかりのいい親だから男の子と遊園地行くくらい別に何も言わないよ」という親なだけあって、彼氏と旅行どころか女友達と旅行もとんでもないことで、親戚の20代半ばの女の子が婚約者と海外に婚前旅行に行ったと聞いて眉をひそめていたし、私の男兄弟も社会人になってから一人で旅をする!と頑張って行った先が親の会社の保養荘というくらいのことが限界でした。大学も家から通える範囲の場所でないといけないと言われていたので、私はまだ一応同じ都内だったからいいけれど、男の兄弟は何浪かしても隣の県の大学しか受からず(一定以上の大学でないと受けさせてもらえなかった為)、毎日3時間通学で、理系だから忙しくてサークルも入れず、バイトもあんまりバリバリできないから自由になるお金もなく、友達もいなくて、就職してからも長年結婚しなかった。私から見ると彼の方がちょっとかわいそうだったように思います。

 そういう人たちは自分が何かおかしいと気づいてはいて、もっと自由な世界に生きている人の話を聞いていろいろ刺激は受けるけれど、「でもうちの親には絶対通じないから……」という結論で終わってしまい、今流行りの言葉である思考停止状態に陥るのです。ただ私が思うに、この「停止」というのは私の場合一時停止のことで、その場からほんとは逃げたいと思っていて、でもとりあえず今まで手を尽くしても駄目で今できることはもう無くなったから一時停止、していました。やるだけやって他にどうしようもなかったんです。

 何かすごく、私のような人々を批判する人が多いのはわかっていますが、それでも多分皆一生懸命やろうとしていたと思うんですよ。精神的に過酷な環境の中で。要領が悪かったり頭が悪かったり、考え方の癖に気付かなかったりしていただけで。優秀な人ならもっとちゃんと生きられたんだろうなと思いつつ、だからおまえは駄目なんだと言ってくる人たちは多分私たちのことをちゃんと見ていないんだろうと感じていました。独身時代私に近づいてきて興味を持ってくれる男の人はそういう人が多くて、ダメ出しばかりしてきて私を追い詰めるだけ追い詰めて、本当に疲れてしまい、そういう人から離れるとまだ逃げるのかと怒られて、最後までわかってもらえなかった。考えてみたら、最終的に結婚した夫は、無口なのでわかりにくいですが心でいろいろ辛辣なことは考える方だと思うのですが、私の人格を否定するようなことは言わなかったし、何を言ってもふーん、でおしまいな所があるので、とっても楽だったんです。とは言ってもどうやって生きて行けばいいのかわからなくて、結婚後鬱状態になってつらいつらいと泣きわめいていたら、やりたいようにすればいいじゃんとイライラ言われて、ああこの人もわかってくれない、もうだめだと絶望的になり結局私は長期入院してしまったけれど、この人は私をとことん追い詰めるようなことは絶対にしなかった。おまえは駄目な人間だとは言わなかった。ああだから結婚したんだろうなと振り返ってみて思います。
 
JUGEMテーマ:日記・一般
web拍手 by FC2
posted by: nanori | 思い出 | 01:07 | comments(4) | trackbacks(0) |-
りぼんっ娘でした……
実家でいろいろりぼんの付録を見つけたので持ってきました。

りぼんっ娘認定証
あ、これは雑誌の中に閉じ込みで自分でハサミで切るぶんだったかも。公式認定証だったんだ……

かすみちゃん
 私が好きだった柊あおいさん「星の瞳のシルエット」の香澄ちゃん電話カード。彼氏に渡すものらしく「50回私に電話かける権利をプレゼント!特典として電話一回くれたら私から二回かけます」という説明書きが裏にあって、こんなもん……さすがに誰が本当に渡すんだろうと思ってました。あ、電話が昔っぽい……

長くなるので以下たたみます。

 
続きを読む >> web拍手 by FC2
posted by: nanori | 思い出 | 19:25 | comments(4) | trackbacks(0) |-
5年前のさくら
 森山直太朗のさくらを聞くと、五年前の春を思い出す。私はこの歌を耳にしたことは有ってもフルで聴いたことが無くて、テレビの無い部屋で寂しいからちょっと思いついてラジオをつけてみたらたまたまこれが流れてきて、こんな曲なんだ、良い曲だなと思った。
 私は当時半年間遠くの病院に入院していて、2月に退院して家に帰ってきたばかりだった。夏に入院して、季節は一変していた。外出もままならない病棟、携帯も禁止、厳しい規則、だけど医者がいて看護士がいて、私が怖かった現実世界から守ってくれる壁と東京からの距離が有った。その安心な場所からいざ退院してきたら、自分の家にただ座っているだけでも不安で不安で、ほとんど家にこもって、病院に帰りたい、と思っては泣いていた。その時、さくらが流れてきた。冷たい床、冷たい部屋の空気、春はまだまだだと思ったのに、さくらが流れてる。ああ春が来るんだ。あの頃の部屋の冷たさは、現在やっと住みなれてテレビも設置したこの家の暖かさからはだいぶかけ離れていて、もう遠い世界のことのよう。でもあの歌を聞くと思いだして切なくなってくる。あの頃の事は一生苦い思い出として私の中に残るんだろうけれど、でもそれがあんな綺麗な曲と一緒でよかったと思う。
 そんな曲のCD買おうと思わないので、歌詞もよく知らないしほとんど聞くこともないのだけれど。ああいう出会いって有るものなんだ。あれはよく知らない思い出の歌。


桜2013

JUGEMテーマ:日記・一般


web拍手 by FC2
posted by: nanori | 思い出 | 22:29 | comments(2) | trackbacks(0) |-
NANA
私には幼名があった……
2つ違いの兄が私の名前をちゃんと発音できずナーナ、ナーナと言うのを家族や親せきが真似して、奈々ちゃんと呼ぶようになった。自分でも自分の事を奈々ちゃんと言っていた。
小学校4年の時、父がこれからは本名で呼ぶと言いだし、「○○さん」と呼ばれるようになった。ナナは消えた。

大人になって、夫と二人だけで普段会わない母方の親戚の家に行った時、母の従兄弟夫婦が、夫に向かって、
「奈々をよろしくお願いします」
と言った。自分がナナチャンだったことを十数年ぶりに思い出した。切り捨てたはずの過去。辛い時代だった。だけど、忘れたいばかりだった「ナナチャン」が少しくらい良い子だったことも有ったのかもしれないと初めて思った。東京へ帰ってから、夫が面白がって「ナナへの気持ち」という歌を歌ってくれた。

JUGEMテーマ:日記・一般


web拍手 by FC2
posted by: nanori | 思い出 | 01:01 | comments(0) | trackbacks(0) |-
ちょっとした不思議な経験集
先日家の棚に有るお人形が地震も無いのにカタカタ振動するという不思議に遭遇したばかりなのでこれまで経験してきた不思議な話をちょっと書いてみようかなという気になりました。本当気まぐれです。
私はどっちかというと超常現象は信じない方だと思います。でも目の前で起こってる事は事実起ってるので否定する理由はありません。科学で説明できることなのかどうかわかりませんが、わざわざそれを実証しようというつもりもありません。幽霊を見たことはありませんが現実の中にはファンタジーが潜んでいるものと思って生活しています。

JUGEMテーマ:日記・一般


続きを読む >> web拍手 by FC2
posted by: nanori | 思い出 | 12:35 | comments(1) | trackbacks(0) |-
こんなものが出て来ました
マリア像
この間実家に行ったときに持ってきたマリア像です。大きさ比較のためにプチブライスのタティアンナブラックちゃんと並べてみましたがプチブライスの大きさがわからないですよね…(^^;プチブライスは11.5cmくらいの大きさです。焼き物です。
この小さな聖母子像は中学生の時学校の家庭科室の掃除を一番熱心にやったとお褒めの言葉と共に家庭科の先生(カトリックのシスター)にもらったものです。学校ではそんなに熱心にお掃除をする生徒だったのに、今では掃除が大嫌いな主婦になってしまい家は散らかし放題。。。これを見て戒めにしようと思います。
web拍手 by FC2
posted by: nanori | 思い出 | 22:19 | comments(0) | trackbacks(0) |-
復旧?
久々に更新しようと思っていたら、ロリポブログのサーバがダウンしていました。。。今やっと復旧です。
有料プロバイダなのにサーバダウンが多いんで困ります(´・ω・`)

スコットランドの衣装のお人形を買って喜んでいるのでもわかるように、私はスコットランド、アイルランドあたりの民族衣装や民族音楽が割合すきです。
目の前がぐるぐるしてくるような神秘的な曲は、とても不思議な感じなんです。バグパイプのCDとかも聴きます。耳鳴りがしてくるのであまりしょっちゅうは聴きませんけど。。。
披露宴の時は「シャナヒー」のサリーガーデン(「月の庭」)という歌をBGMにかけたのですよ。アイルランドの曲で、ちょっと雰囲気が暗いかなと思ったんですが(^^;

是非シャナヒーを生で聴きたいです。でも関西のグループなのでなかなか。

サーバダウンの間に、何を書こうとしていたのか忘れてしまいました(´・ω・`)


なんだか生活が忙しくて気持ちが疲れてきたりもしていますが、まあなんとか病気もせずやってます。いろいろと将来を考えると気持ちが暗くなるばかりですが(性格ですね)、生活していくということに慣れていきたいと思います。結婚前の私は人間としてちょっとおかしいかも??と思うくらい、「生活」できない人間で、親のすねをかじって生きてたなあと思い出します。いえ全く元に戻りたいとは思いませんが。
彼と結婚しなかったら多分一生あのまんまだっただろうなあと思います。
web拍手 by FC2
posted by: nanori | 思い出 | 23:10 | comments(0) | trackbacks(1) |-
母校に行ってきました
母校にはルルドがあります。
崖にコンクリートで岩壁を作って、フランスのルルドに似せたミニルルドが作ってあるのです。
ルルド
のーばらーのにおう〜ルルドの岩屋〜
ファティマの丘のニレの林に〜
現ーれましし〜御母の御手に清くかかれるロザリーオのー珠〜♪

という歌がありますが、その通りこのマリア像は腕にロザリオをかけています。そう、ロザリオは手にかけるもんだと思ってました。最近は首にかけるようです。(?)

この像は、高校の頃母校のシスターから聞いた話では、修道会のシスターがフランスで入手して、当時とても危ない船便で日本に送ったそうです。他の荷物は中身が抜き取られたり、届かなかったりしたのに、この像の入った荷物だけは無事日本に帰ってきたとのことです。

ルルドの泉
これは上の岩屋の下にある泉・・・っていうか池です。真ん中から水が湧いているようにみえますが、もちろんポンプを使って水を循環させているのです。

このルルドが出来たばかりの頃、恩恵にあやかろうと、この池の水を飲んでしまう純粋な高校生達続出!
それは衛生上問題があるとのことで、学校側がこの横のに水道の蛇口を付けて石で隠し、水を常時流して、そこにコップも置いて、対処したとか・・・・・・。

水がもったいないからか、今はもうその飲み水は流していないようです。コップは有ったけど。。

私が学生の頃まではこの泉(池)に鯉がいましたが、もういませんでした。
ここでおもちゃの魚を泳がせて遊んだなあ・・・。
web拍手 by FC2
posted by: nanori | 思い出 | 20:27 | comments(6) | trackbacks(0) |-
悩んでないわけじゃない
思い出とか言うとちょっと後ろ向きみたいだけど、当時よくわからなくて書けなかったことも、時間が経ってみると普通にふりかえることもできるようになったかも。
それに、当時のことはほとんど忘れてしまって、逆に思い出したいんだけど思い出せなくなっているから、もしかしたら私より周囲の人のほうがよくわかっているかもしれないな。

ということで今日は思い出話を。
続きを読む >>
web拍手 by FC2
posted by: nanori | 思い出 | 19:10 | comments(0) | trackbacks(0) |-