Search
Calendar
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< September 2018 >>
twitter
Profile
Recommend
Recommend
Recommend
ひとりぼっちを抱きしめて
ひとりぼっちを抱きしめて (JUGEMレビュー »)
日本糖尿病協会,荻原 友未,滝井 正人
過食症になった1型糖尿病の女性と医師の往復書簡
New Entries
Category
Recent Comment
Recent Trackback
Archives
Links
mobile
qrcode
RSSATOM 無料ブログ作成サービス JUGEM
並木陽さま「マインツのヴィルヘルム」感想

 

 

並木陽さま「マインツのヴィルヘルム」2018.5

https://privatter.net/p/3491109

@namicky24 

 

 

 菖蒲、柳、あと何かな白樺のような木。菖蒲を手にうっとりとした目で美しい人が佇んでいます。

 

 最初マインツのヴィルヘルムは歴史小説アンソロジー『世界史C』(史文庫さま編,2015)で読ませていただいてました。その時も静かな感動を覚えて好きな作品、好きな作家さんだなーと思った記憶があります。その再録とのことでこちらで久しぶりに読み返しました。

 まずお母さんが東方の部族の長の娘…、というのが私にはツボで、この人も故郷を離れてどのように過ごしていたのだろうと思うと胸が苦しいです。スラヴの神話については(ぼんやりとスラヴ好きなのに)無知なのですが滅ぼされてゆく神話、消えていった無数の神々、東欧のDimna Juda mamo(マケドニアの「コパチカ」の最初歌い出しに登場するブライナのディムナ・ユダ・ママ)みたいな、フォークダンス音楽の歌詞にも何か突然出てくる謎の民間伝承がとても面白いなと思ったりしていました。でも言語の無かったスラヴの世界の神話が現代に伝えられたのは確かに奇跡、文字があるのがあたりまえの世界に暮らし文字無しに何も語れない私には多分はっきりとは理解できない感覚なのですが、文字が無いということもだし、文字(ラテン語)で書き記すこと、など、それはいったい当時の人にとってどういうことだったのだろうと興味深く思いました。でも私には難しくてそんなことずっと考えていると先に進みませんので・・・。

 そうそう、滅ぼされてゆく神話といえば、並木さんの「茎韮の花」という美しい作品があるのですが (孤伏澤つたゐ様編語り直し日本神話合同誌『常世辺に帰す』,2018) 、こちらは日本のひとつの部族がヤマト朝廷に滅ぼされてゆく神話で、その話があまりに美しいから、逆にふと滅ぼされるという現実の悲惨さを感じてしまい、本当はこんな美しいことは無かったのかもしれない、本当はこんな美しい恋も無く美しい人も無く、全て何の救いも無く塵のように踏みにじられてしまっただけなのかも…とネガティブモード全開ですが、私はつい想像して悲しくなってしまいます。だけど、もしそう言えるのであればまさしくその同じ論理で、文字で記録されていないだけでそこには本当に美しい世界や美しいストーリーがあったのかもしれないとも、ずっと消えることのない美しい余韻の中で考えていました。歴史小説だからこそどこまでも深く掘り下げられる、運命と人の精神との攻防のような。


 話戻ります。マインツのヴィルヘルム。
 とても静かな雰囲気の、淡々と進む物語、でもその中に有る人の心の痛みや、怒り、叫び、憎しみ、そして愛といった激しいものを短いけれど忘れ難い場面や言葉により爆発させるかのように表しているのがとても好きでした。人が生きることの残酷さを和らげられはしなくても黙って覆い隠してくれる森があって、そこには滅ぼされてゆこうとする異教の神々が隠れていて、いなくなったのかと思ったらにゅっと不思議な芽を出して、そこに深緑の衣の少女がいて。弱くて翻弄されるしかない少年に、いいことも悪いことも起こって、人との深い関わりもあって。そうやって懸命に生きてゆこうとする人を生かしてくれる何かが人生には時々あるんですね、そうなのかも。心の支えがあることの希望と、何かを失う寂しさ悲しさがこの静かな物語の中でとても印象深くよかったと思います。好きでした。

 彼がロイドルフにかける別れの言葉はあまりに静かで、言い回しは恨み言のようでいて、やっと落ち着いて本音が言えた安堵のようなものも私には感じられて、こういう言い方は何か使い古された感じだけど時が流れたんだな、と思うし、この人は成熟して、もう弱々しい子供ではなく、多くのものを得てきたのだという気がします。こんな言葉を口にしていながらも。私はそうはならない方なのでわからないですが。

 そして、ヴィルヘルムの母に対する思慕。信仰と母を奪われたというのは踏みにじられて人格を否定されたも同じことではないでしょうか。その苦しみを出発点として、全く自分の望まない運命に従って母とは全く逆の立場に立ち、その立場から母を思い続けたというのが面白いですね。それも不思議となるべくしてなったような。とにかく彼が成し遂げたということ自体、寛容な神々がたしかに存在した証拠なのではないか、と、思わせるような。それはつまり母と森にいた彼の幸せな時が本当のことだったのだという確かな手触りでもあって。本の表紙のあの美しい絵がそのままこの作品の主題であるように感じます。

これはひとつの信仰あるいは信念の勝利であるという面もすごい良かったと思うのですが、それにもましてヴィルヘルムの内面に関して言えば、本来誰にも知られないし知られないで良い、彼だけの傷に埋め込まれた永遠に輝く宝をその傷ごと守りきったのだとも思えて、読んでいてこちらも充たされる思いがしました。とても穏やかな心持ちで。



「アウグステの結婚」
感想

 こちらもとても良かったです。ヴィルヘルムの幻想的な話とは雰囲気が違うように感じます。近い時代だと私にはよりイメージが具体的に掴みやすいというのもあるかもしれないです。継母や兄弟との現代日本人からしたら何か鬱陶しいような距離感とかリアルに感じられて、生き生きした登場人物が皆とても魅力的。私はほぼ日本しか知らないし、私が想像でヨーロッパを書いたらつい日本の風景を基に描写してしまうと思うんですが、こういう作品は本物の外国を見ているような感覚にわくわくします。痛いくらいの極寒の空気をふと感じて何か緊張したり。

 アウグステはヴィルヘルムと同じく、自分ではどうしようもない過酷な運命に直面するのですが、流されるのとも逆らって戦うのともちょっと違う選択をする強さを見せつけてくれました。涙をボロボロこぼしながら。その勢いにちょっと私はびっくりしたし、魅力溢れる人だなと思いました。頭の良い、より良く生きられる強い人が苦しまない訳ではないのだけれど、苦しむ意味を自分で知る、或いは自分でその苦しみに何かを意味付けることができる人は多分、幸せになれると思う。と、彼女がはっきりと示してくれているように感じ勇気づけられました。

 〇〇だいすき、しあわせ〜と、幸せという言葉をいつの間にかどこかで覚えたうちの幼児が口にして私は最近びっくりしたのだけれど、私は人がどうやったら幸せになれるのか知らないしアウグステのママのように子供に教えてやることはできないです。でも私自身もだし、うちの子も、アウグステのように、何でもいいから自分で自分の幸せを見つけて、そこに向かって決断できる人になれたらいいなとふと考えていて、何かいつの間にか親目線、っていうかあれ、何だろう幸せって。そういえば幸せについて子供がいる歳になってもやっぱり全くわからないでいて。カールのような決断も私には否定できないし、幸せについて今いろいろ考えている私なのでした。こちらの作品は、幸せについて、というより、幸せになるには、というテーマがあるようで面白かったです。

 

 

 

JUGEMテーマ:同人誌

web拍手 by FC2
posted by: nanori | 同人誌文学 | 21:24 | comments(0) | trackbacks(0) |-
檜さま「ブラック・マドンナ」感想(クリスマス市のグリューワイン)

 

 

檜さま「ブラック・マドンナ」感想

(クリスマス市のグリューワイン)

http://vinchauddenoel.blog.fc2.com/

@hinoki_myth 

2018.5

 

 

 

ポーランドのチェンストホヴァには黒い聖母像がある。というところから物語が始まる。


ヤスナ・グラの修道院の、青いベールをかぶった聖母の絵は黒い肌をしているんだそうです。

※キリスト教、ポーランド史については、この作品においてはそれほどわからなくても大丈夫だと思うのですが、聖書など多少読んでた方がわかりやすい、かもしれないです。読んだことなくても大丈夫だけど全然関心が無かったらよくわからないかも??
 ポーランドは「悲しい歴史」というより「悲惨過ぎてちょっと踏み込むと生きた心地がしない歴史、何万回も殺され踏みつけられズタボロにされたポーランド」くらい言ってもいいような気がしますよね…。私は子供の時にキュリー夫人の伝記で辛い目に遭ってたポーランドの状況を(軽く触れるくらい)知ったのが多分「ポーランド」という国を知った最初だと思います。
 他民族から侵略を受け列強の3度に渡る分割、ナチスドイツの進攻、その他多くの危機がありました。他でも大体そうなのかもしれないですが、侵略とか進攻とか一言で言うけれど具体的には恐ろしいほどの残虐行為が行われていたのでした。とにかくポーランドは民族としての危機を何度も経験し、でもまた立ち上がり、何百年と時間をかけて復活しました。
ポーランドは「か弱い」んではないんですよね。ここまで悲惨な状況の中から立ち上がるポーランドの底知れぬ強さ!悲惨なほど想像できるではありませんか。

 

 

そしてポーランドと共にあった誇り高き女王、ブラックマドンナの存在。
ブラックマドンナ(肌の黒いマリア像)というのは世界各地にあるみたいで、昔から聞いたことがあるけど気になりつつ何なのかわからず。ちょろっと調べても結局何なのか全然わからず。。。その一つの答えが書かれたとても興味深く面白い作品でした。

表紙絵がハードボイルドっぽくもあり何かかっこいい…最初下の二人に目が行き、それから影のようにこちらを見ている女性に目がいきます。その細長い白目の雰囲気にはっとします。あ、これ、マリア様だって。いや、そうなんだけど、目が本当そう見える。。。百合の花の青いベールは、この物語の中でいろんな場面で印象的に出てきて、うまくいえないけどその存在感に心が揺さぶられます。


さてこの作品は紀元1世紀のイスラエルと20世紀ポーランドという2つの世界を描いているのです。一見関係なさそうな、全く違う世界の話なのに、テーマがはっきり繋がってる。この発想も面白いですよね?!
古代イスラエル。肌の黒い奴隷の少女マリアは生まれた時から奴隷として売り買いされてきて、それ以外の生き方を知らない。それは当たり前のこと、とばかり淡々と描かれ、割りきって生きているようで、どこかメランコリックな雰囲気を持つ少女のように感じました。結構頭が良さそうで、物静かで慎ましく、人を憎まない、人に害をなそうなどと思うことがない、真面目で誠実な人間であることは疑いようがない。なのに、本心がどこにあるかわからないぼんやりした人物であるように見える。余計なものをすべて削ぎ落とした潔さが好ましく思える。そういう風に好ましいと見てしまうのは多分、あまり生々しいものを見せられるとこちらが苦しくてしょうがないからだと思う。こんな辛そうな状況なのに平気でいるように見える人がいると私の場合は少し心強く感じそちらへ逃げたくなるのだ。この人は強そうだから大丈夫、と無責任に。

 

 しかしまた同時に、読み進めると何となく、彼女は芯が強いわけでもないように思った。実際、諦めるというか初めから望まない、よりほかに何もできない。プライドのような自意識すら出てこない。なのに、平気で黙って立っているように見える。
 ある時マリアは優しい、身分のある老紳士に買われ、エルサレム神殿に仕える清らかな令嬢マリアの侍女となった。令嬢マリアは汚れを知らず、汚い感情を持たない少女だった。肌の黒いマリアを与えられ大喜びで、友達のように接してくれる令嬢マリア。マリアは令嬢マリアのことが好きだった。令嬢マリアと、その婚約者ヨセフ。揃いましたね。彼らが本心から自分に好意をもって、また善意で接してくれることもマリアは知っている。清い令嬢マリアと、汚れた奴隷のマリア。お互い友情で結ばれていたはずだが、あまりにも違う存在だった。優しくしてもらえるのは嬉しいのに、好きなのは確かなのに、どこかで感じる違和感。やがてマリアが令嬢マリアの元を去る時がくる。
 奴隷のマリアが令嬢マリアと離れる過程のひとつひとつ、ローマ兵との短い会話、またそれからの彼女の変化がとても素晴らしいと思う。苦しいはずの端的な描写が美しくさえあって、ここの流れは二番目くらいに好き。多分、この作者さまは、言葉の使い方と、文を構成するのがすごくうまいんだろうと思います。そういうセンスがあるというのか的確に必要な言葉を当ててきて、こんなわかりやすいまとまった一文、すごいなと読んでて思ったりすることもありました。

 

 前に「奴隷根性」とマリアが表現したこと、これにもとても考えさせられました。生まれた時からそうだった、というのは、実際そうじゃない人には多分わからない感覚で、その感覚を否定して別の生き方考え方を納得させるなんてことはできないと思う。それは人の手では叶わない自由。自由になるのは難しい、でも、その「自由」という言葉をはっきり自分に関連することとして使い出すマリアの口調の変化、「ですます」じゃ無くなるところが三番目くらいに好きなところかな。

 

 またいいな、素晴らしいなと思ったのが、この作品で、奴隷マリアが自分と違って原罪の無い女として令嬢マリアを真心から称え、自分の中だけで完結するのではなく、それを読者に納得させるくらいの強い思考力を持っていたこと(そのように書かれていること)。マリアは自分に関しては身も心も真正の奴隷のはずなのに、令嬢マリアの問題に関しては、彼女のことであるがゆえに、彼女の価値を貶めようとするこの世が間違っているときっぱり考え、怒りのようなものも多分持っている。他人のことなのに。そして最後には、わたしとあなたは同じ、というメッセージで、奴隷のマリア側の立ち位置をも一気にぽーんと引っ張り上げる。昔の物語だとどうしても女性が男性よりも下の立場と扱われ理不尽な目に遭うのを読まざるを得ないんですが、ただ苦しいだけの話になると本当きつい。。。ですが、このような感じで昇華されるとは思わなかったです。

 

 あと、ネタバレしそうで書きにくいですが、一番好きなのは、カイザリアの海についたシーンです。美しいシーンで。眩しい日差しが目に見えるようで。マリアが幸せそうに感じられるのでとても感動します。ここが一番私にはぱああーと輝いて見えました。私はずっと彼女にこうあって欲しかったのかもしれません。

 


 この二つの時代は交互に描かれていて、両方ともどういう顛末になりどう繋がるのか最後の方までさっぱりわからない。だから両方に引き込まれました。主題がマリアなのでどうしても私は古代の方にばかり目が行ってしまいますが、宗教となるとその後がまた大事なんですよね。


さて20世紀のポーランド。

やっと最初に戻るけれど第二次世界大戦も終わり、1956年〜。

ヤスナ・グラ修道院の修道士アンジェイはヤスナ・グラにある黒い聖母のイコンを信奉し、心から愛していた。共産主義化したポーランド当局はカトリックを迫害するが、カトリックの国民はこぞってこれに抵抗する。その渦中にいるアンジェイは祈りと戦いの日々たびたび一人の友人のことを思い出す。かつて神学校で共に学び、一番の親友だった彼はどうしているのかと。そしてアンジェイはその親友だった男と意外な形で再会することになる。

 

そのマリアを奉ずる少年たちは、聖母マリアを愛するということではじめ関りがあったのだと思いますが、今度はここでも彼らが汚れた人間、と清い人間、と隔てられたようにミュシェコは感じます。奴隷マリアが自分と令嬢マリアとを比較するのと状況は同じよう。

先ほどマリアについて書きましたが、ミュシェコが刺青を入れられたのはだいぶ成長してからで、マリアが奴隷だったのは生まれた時からだった。そこで大分違っているように見えるんだけれど、もしかしたら元々はそこまで違っていなかったのかもしれない、生まれ育った状況が同じならばこの二人はここまで極端に発現する性格が違わないかもしれない・・・という気もしてきます。

 

 

ミュシェコが出てくると急に緊張します。ピリピリして。彼は実に悲惨な経験をして、その結果彼なりに行き着いたのが自分がかつて信じたもの、愛した者への憎しみだったようで、それでいながらその信念が頑強なものでもないのはあきらかでもある。愛した自分を否定したり(あれは愛ではなかった・・・みたいな)、他人の愛への猜疑心、あんなに信じていた自分の愛が信じられなくなったから、人も愛せないで苦しむ姿が見たい、ということなのか、彼の憎しみ、そこから来る負の欲求は激しく、最初に読んだ時は先が見えない分余計に読んでいて怖かったです。私には全く覚えのない体験だし。こればかりは「わかるような気がする」などとは言えません。でも、そういう感じの人は私の周りにもいる気がする。彼は絶対に何かで報われなければならなかったのだと思う。嫉妬し、愛し、憎み、様々混乱した激しい感情が、古代イスラエルの二人の少女の間にあるものと違う形でバンバカ表に噴き出してきます。

 

 すみませんこれは、よくはわからないんですが、ミュシェコが黒い聖母のイコンに睨まれたような気がした、それで何か不安になった、という描写が気になりました。一方、アンジェイは時折、悩みのうちにある時に、同じ黒い聖母に微笑まれるのです。これは実際というよりも、多分、・・・・・・私は写真でしか見たことがないので何ともはっきり言いづらいのですが、ヤスナ・グラの黒い聖母の写真を縮小写真で見ると確かに怖い顔をしているように見えるのです。でも、大きな写真を見ると、目元はぼんやりうるんでなんとなく柔和でもあり、閉じた口元はきつくひきむすんでいるのではなく、軽く閉じて、今にもゆったり何か言いそうな、ふとした拍子に朗らかな形にも見えるのです。これは実際の2人の青年の聖母との物理的距離による視覚的な印象でもあるのかもしれません。どちらにしろ、ミュシェコと自分を睨む人との精神的距離は近くはないでしょう。

 

 現代の方が事情が複雑で、・・・と解説していくにはちょっと私には難しい話なので(というか、彼らの心の中のこととか)ここからは私が特に書きたいことだけ書かせていただくことにします。古代イスラエルでもすごく私が引っぱられて気になった言葉ですが、現代ポーランドの方でも「自由」という言葉が出てきます。これをめぐって二人が語り合うんです。そういうのは私ももともとすごく関心がありました。囚われる、というのは例えば奴隷として主人に捕らわれる、というのや、心の自由を奪われる、それはつまり、なんらかの必要があって自分で自分をそこへ縛り付ける、というのでも使われますが、私もそういう何かに囚われている一人で、そこから自由になりたいと幼少期からずっと思ってきて、やがて病んで、自力で簡単に自由になれない自分が努力と勇気とやる気が足りないと自由な人達に責められているかのように感じて、そして私じゃなくても、何かから自由になるのは本当はとてもとても難しいことなんだとやっと知って、それから少し開き直って生き始めたくらいの人です。しかも、自分が何に囚われているのか知ることが、こんなに長い時間かけて、いろんな人の意見も突き付けられて、それも併せて鑑み、そうやって考えて生きてみても正直ああかもしれない、こうかもしれない、と判断がつかず、よくわからなかったのです。ミュシェコに似てるような……。でも、それも含めて、よくわからないけど人に何と言われようと開き直って生きるしかない。この開き直って生き始めるくらいが人間にとって少し生きやすい段階に入ったのかなという、新たな一歩のように感じているところです。

 以前、開き直って平気で生きる人が図々しく土足で人の領域にガンガン踏み込んでくるんで辟易していたものだからそうだけはなりたくないと思っていたし、今でもどんな理由を聞いても自分のされてきたことは許せない、でもそれはそれとして、自分も少しくらい図々しくならないともうこれ以上何も背負えないところまできたというのが、私にとっての「潮時」かな、と思うのです。こうなるしかなかったのかなと。ただ今後、私はもっと、どこまでも自由になろうとは思っています。しぬその時にでも、なれれば私はそれでいいと思う。

 主にはそういう話ではないかもしれないんですが(?)、私がそういう風に今思っているのと同じように、この人たちは何かから自由になる。その時に初めて、それからの自分、それからの人生を自分のものにすることができ、自分のために生きることを許されるのではないかと思いました。

 

 個人的な話になってすみません。私は感想文が大の苦手なんですが、結局「感じて、想う」のだから私の心に生じるのは全く個人的な話にならざるを得なくて、私の場合内面をあまりにさらけ出し過ぎるから読む方には迷惑なことになるんですね。あまり個人的な方に傾き過ぎると作品の解釈などから目が離れてしまいがちですね・・・。でも良い読書体験をさせていただいたように思います。

 

 とても美しい文体で、ストーリーのテンポがよく、淡々とした簡潔な言葉で時にぞっとするような状況をさらっと描くところとか、全体的にすごく好きな作品でした。

 

 

JUGEMテーマ:同人誌

web拍手 by FC2
posted by: nanori | 同人誌文学 | 21:39 | comments(0) | trackbacks(0) |-
感想・西乃まりも様『摘み草の薗』読みました

 

西之まりも様『摘み草の薗』

2018.5

 

http://marimondou.blog32.fc2.com/

@marimobomb

 

 感想っぽくないですが、読んで感じたことをつらつらつらつら書いてたら・・・長い!!!感想文なのかなんなのか不明!すみません↓

 

 私は昔からあんまり自然信仰がどういうのか理解できなくて何かと戸惑うことが多かったように思います。大自然に触れている時も美しさや壮大さより始終自分の体の痛みに気をとられていたり、何か人の厳しい批判や監視の目にイラついて帰ってきた…とかいう記憶ばかりがあります。でも、私は東京の中では田舎の方で育って、嫌でも徒歩数秒の距離で虫や雑木林やなんかと触れ合わずにいられなくて、考えてみると子供の頃自然の美しさや心地よさ、匂い、季節ごとの空気といった、何気ない風なことを今よりずっとよく知っていました。
二十年三十年前だからというのもありますが、小さくても死者のでる自然災害や観光客や地元の子供が川で溺れてなくなる事故は近所で頻繁にありました。私は今でも雷や川というものが怖いと感じます。それは単なる怖がり、心配性というのもあるけど、多分平原に雷がバンバン鳴りドンドコ落ちて、油断すると自分と同じくらいの子供などが自然の中で普通にしんでしまう田舎に生きていたからこその感覚だとも思います。

 「巳ノ淵」の香織ちゃんは元々神様的なものの世界を嫌っていて、山で遊ぶよりも町に出ていきたがったりします。状況などは私と全然違うけど、私もちょっと近いところがあったような気がしました。今はもういいけど、もし過去の私に茅さまのような神様が現れたら何か私本当は喜びそうだな、とか、でもそもそも私は会えなさそうだなとか、会えてもただポカーンとして一生何にも理解できなかったりしそうとか。

古くから続いてきた風習は外から見ると無責任に興味深く感じてしまうけれど、実際中に入りたいとは思わないです。でもその中にうっかりして入りこんでしまうと、そこで初めて触れさせてもらえる奥深い世界を知るのかもしれません。私は入ってないからわかりませんが。でも別に、そこに入り込まないといけないわけではなく、あくまで、必要なら呼ばれ、その必要がなければ呼ばれない、そこに良いも悪いも無い、現代社会ではよくわからない基準の世界があるようです。でもそれは何か感覚としてわかる。子供の時はわからなかったけど今は。そういうのはもしかしたら他の、キリスト教のようなのも同じかもしれません。

そこに入り込んだ経験があっても、香織ちゃんは大人になっても相変わらず香織ちゃんでした。あの薗の存在は、それでもいいんだと言ってるように感じます。あそこが好きな人もいるし、怖い人もいるし。人はとりあえず人の世界で生きるので精一杯だし。私は見えないものは有っても無くてもどっちでもいいや(今はちょっと別のことでいっぱいいっぱい)程度の認識の人間で、でも自然の美しさ、恐ろしさをちょっと知っている。ただそれだけのことで、自然なんて別に良くも悪くもないと思う。美しくて怖いというだけ。

 私は人の理性重視側に傾いているかもしれなくて、自然を見る人の意識こそが自然に意味を見出だしている(美の観念なども)気がしてしまう方。自然の流れに抗い個人の損得感情を優先して生きることも、生きる人の自由と、ちゃんとあちら側から認められていると無理矢理思ってしまう。報いを受けることもセットで。これは人によって全然違うと思うけど。
 

 私は代々実家のある地方に住んでいた訳ではなくうちはいわゆる余所者で、そのせいで嫌な思いもしたし結局馴染みはせずに結婚して土地を出ました。地元の神社お寺、お祭り、なんかには好き嫌い以前にほとんど縁がないままでした。それでも故郷の自然やそこに発生した人々の文化に愛着があります。パソコンもネットも無い時代で、遊ぶんであれば友達と外でおままごと(おままごとって昔は外でもやってませんでしたか?敷物しいて。今考えると家の中にもおもちゃは無いから葉っぱや木の実を使っておままごとをしていたのかも)して、2,3人でボール遊びしたりゴム段したり、近所のまだ整備されていない茂みを探検したりして、外にいると必ず自然に触れることになるのです。この作品は、そういうことをいろいろ思い出すきっかけとなりました。


意識と感覚と体との微妙な関係

 まりもさんの作品の中の、私の好きなところのひとつは、感触(感覚)に関する描写です。体の感覚からたどっていってやっと思い出す自分の存在、自分の意識と体がうまく繋がらない感覚、とか。

 何かに手を触れると言うとき、その触れる対象の形状や素材表面の固さ、温度、色合いその他を書けばいいようでいて、実際には感触というのは対象側ではなく触れている側の手の内側にあるものなんですよね。当然と言えば当然だけど、見ているのが文章の書き手、読み手、動作の主体、客体と大勢からんでくると一瞬わけわからなくなるような。冷たいとか固いとかはすべて人の意識による主観であり、形容詞は触れた結果の感想のようなもので。対象そのものを客観的に表現するわけではないですね。人が何かに触れてそれが固いと感じるのであれば自分の手がそれに比べて柔らかいのであり、対象の表面が冷たいと思うのであればそれは自分の手がそれと比較すると温かいということでもあって。他の類似のものと比較すると固い、冷たい、ガサガサだ、ということであれば、そこで比較しているのは当然触れる本人の意識ですし。そして意識の触れる、自分の手が触れる対象が自分自身であることもあります。何かに相対する自分が有ってこそ感覚というものが有って、そこでやっとこの対象について描写する意味があるのだと感じる時があります。
 だから視覚聴覚触覚……あらゆる感覚を言葉にするときに、多分、対象の形そのものをイメージする以上にそれに対する主体の感じかたをとにかく懸命に知ろうとし、きちんと描写しようとしなければならないと思うのです。架空の話だと余計大変です。だから懸命にするんです。その辺をおざなりにしては多分、伝えたいことがきちんと伝わらない時がある。この作品は基本的に、人の意識が見慣れないものや不思議なものに触れる話なので、まりもさんはそういう繊細な作業をとても丁寧にしていて、というか、こういうのをひたすら書きたいと思っておられるのではないかと感じてしまう(わからないけど、っていうか私の勝手な見方だけど)くらいの熱の入りようで、そういうのが私はとても好きなのです。そういうのがあるから私だけでなく多分読み手は皆どんどんこの世界に引きずり込まれるのではないかなと思いました。この作品もそうだし、舞台がつながっている過去作品「記憶の森」も、そういうところ好きです。
 



 人間は遠い過去から似たようなことを多分ぐるぐる繰り返しながらやってきて、やがていつか薗や茅さまへの人の信仰は見失われるかもしれない、そして新たなものに支配され、それでもまたぐるぐる同じように悲しい歴史はやってきて、また茅さまは生まれてきて、人は信仰し、その世界に馴染み……。
そうやっていろんな時代に人間は嫌でも生まれて生きて苦しんでしんで、そう思うとつらいですが、その中には温かさや穏やかさも多分どこかにあり、有って欲しいと願い、大切にし大切にされる茅さまがいることが嬉しくて泣けてくる。こういうのが何なのか私にはわかりませんが、この作品の世界で少なくとも私は彼の存在にほっとしています。
 

 

 キダサユリさんの表紙、挿絵は素晴らしいですね。最初表紙の人物の顔や姿勢はあれ、まりもさんが描いた?と最初思ったくらいまりもさんの文の雰囲気と合っているように感じました。「巳ノ淵」の香織ちゃんの挿絵がすごい好き。私は縞々が好きで、適度な細い間隔の縞々があるだけで好きですけど…。葉っぱもそうですが長い髪の毛の描き方とかが美しくて、でも一気に長い線で髪を描きすぎていないのが可愛い少女らしく感じて、いいなあと思いました。

 

 

 物語について・・・それぞれよかったです。最後の「薗の宴」よかったです。一番短いけど締めくくりにふさわしく穏やかで美しい作品でした。ストーリーということではなく。簡単ですみません。やっぱり私は最初の「巳ノ淵」の香織ちゃんが好きかなあ。すごく可愛い子だと思います。

 多くの方に読んでいただき、この世界の良さにそれぞれの心の感覚で触れていただきたいと思いますね。

 

 

JUGEMテーマ:同人誌

web拍手 by FC2
posted by: nanori | 同人誌文学 | 20:05 | comments(2) | trackbacks(0) |-
よく怒り、よく悩み……「聖ペトロよ、この母子を祝福したまえ」感想

 

 

文芸同人誌

クリスマス市のグリューワイン 檜さま @hinoki_myth

 

http://vinchauddenoel.blog.fc2.com/

 

「聖ペトロよ、この母子を祝福したまえ」感想です。

(2017年発行)

 

 戯曲作品です。
 女教皇ヨハンナの話と聞いた時点で、この本が面白おかしいものではないとわかっていたが、それでもヨハンナを書く人がいるなんて、という興味にとりつかれて購入してしまった。あー、疲れてるのに今読まなくてもと思いつつつい本を開き、次々ページをめくっていた。やはり重かったけれど、目が離せなかった。強い立場の者は弱い立場の者を理不尽に馬鹿にして虐げ、反抗すれば叩き、弱い立場の者たちはその弱さから足を引っ張りあうしかなく、脱落者は死ぬ。私には現実の世界が、この話の舞台のように絶望的で閉塞したもののように感じられることがある。
 ジェンダーを扱った話、という見方をするべきだろうけれど、ヨハンナの苦しみは実は全人類の抱える苦悩でもあるように思える。このヨハンナはしかしとても強い精神を持っていて、女であることから来るあらゆる重圧に簡単に押し潰されることなく、必死に生きて行く。彼女を突き動かしていたのは理不尽な世の中や歪んだ偏った価値観への強い怒りももちろんあったけれど、同時に神への絶対的な信頼でもあった。感覚だけでなく、理性を信じ、冷静に戦い勝ち抜いて来たのは頭が良かったからだ。だが神学校の優秀で頭のいい男たちは、彼女ほどにはキリストを理解することができなかった。人はどうしても自分の感覚に絶対的な信頼を寄せてしまうからなのではないか。世の中では皆こう言っているからあたりまえ、これが常識、という感覚は、とても強く人を引っ張るものだから。それが偏見であることにすら普通なかなか気付かない。男という立場の強い存在であれば尚更。

 ヨハンナはとてもよく怒って、すぐ喧嘩もする。そして、なかなか答えを与えてくれない神の前に、悩み続ける。そして私はキリストを思い出す。

 学生の頃、新約聖書に触れる機会があったが、私にはキリストの教えがとても難しく感じられた。一番強く印象に残っていたのは、キリストは「怒ってばっかり」ということだった。神殿で商売してる人の屋台を蹴散らしたり、せっかくキリストに理解を示して誉め称えてくれる人たちに馬鹿なことを言うな愚か者、というような不機嫌そうな言い方したりし、また弟子たちのこともしょっちゅう叱ってる。何でこんなに怒ってるんだろう、と思った。また、最も理解できなかったのは、ゲッセマネの園で父である神の考えが推し量れず悩む姿だ。こんな、私のような下々でもあるまいし、徳の高いお方が何を思い悩んでいるのだろう、何が怖いんだろうと。真理なんてちゃんとわかってるだろうし怖いはずなんてないのにと。ヨハンナも、これと似たような種類の言葉を人から投げつけられている。

 そして、ヨハンナもまた、ゴルゴタの丘への道を行く。それは凄惨な口上の重なりに、読んでいて圧倒された。こんな風に書ける人がいるんだ……。そうかこれはキリストの歩む道と同じだ。神はなかなか答えない。そして私は、あまりにも凄まじい言葉の応報に、だんだん何が真実なのかわからなくなってゆく。私は受け止めきれず心細く恐ろしくなっていく。しかし、ヨハンナは大衆の罵倒に全く臆することなく、怒り、力強く説き続ける。そしてマルチェロの最後の言葉が、全くその本人の意図に反して、そして恐ろしい絶望的な周囲の状況とうらはらに、どこに真実があるかを読者に対してのみ明白にするのだ。
 はっとした。彼女を突き動かしていたのは、怒りと、悩んで判断し選んできた自己の意志だけではない。神への信頼(信仰)はもちろんある。ただ他の人達と違って彼女を最後の最後まで歩かせたのは何なのか、キリスト教徒でもない私に正しい答はわからないけれど。ペトロがどうだったのかわからないけれど。そういえば、ただ愛であったんだ、と思った。ずっと。それは我々の知っている、日常のぽかぽか温かい愛なんかでなく、流血と罵声の中での、残酷な犠牲を伴う、絶対的な愛だったのだと思う。しかしそれは崇高というよりも、私のような、またマルチェロのような、地べたでへたりこんでいる人たちの位置まで降りてきてくれるとてつもなく優しい愛でもある。これがあまりに生々しく訴えかけてきたので、初めてキリストを、ひとつの方面からかもしれないが少しだけ理解できた気がする。そして、私は観念ではなく人としての自分と、また観念ではなく人としての他人についてふと思いを致した。

 ただし、この作品が描いているのは宗教ではなく、あくまでヨハンナという神の道を生きた人だ。この作者様もキリスト者ではないよう。自分の宗教に関わらず読んで問題無い。多くの人にとっていろいろ感じるものがあると思う。衝撃的な作品だった。

 

※(すみません次いつどこで買えるかわかりません)

※ https://plag.me/p/textrevo06/4673

  ↑ここに本の内容が詳しく書いてあります。

 

 

 

JUGEMテーマ:同人誌

続きを読む >> web拍手 by FC2
posted by: nanori | 同人誌文学 | 10:33 | comments(0) | trackbacks(0) |-
繭子さんも私もの話

 プーリップのヂュオラー、十何年も欲しいなーと思いつつチャンスに出会えず。今更……でもなあ。。気になる。。今出てるけどこの金額かあどうしよう。。今度にしようかな。。を、十何年繰り返している。

 

 

 そういえばあんまり作品について誰にも話したこと無かったけど、『ヒトガタリ』に書かせて貰った「繭子さんも私も」の主人公麦子のような人とは付き合ったことなくて、彼女は私にはあまり身近に感じられる人ではなかったりします。普通そうに見えてあんまりこういう人いないかもしれないけど。身近というか、まあならないけど一番私が陥りそうな立場って誰かというと、あやのちゃんです。私はちやほやされたことないけど彼女の事、或る面では少し理解できるような気がする。麦子のような家庭的な面も持つ真面目で不器用な人を書いてみたかったけど、麦子は私の理想で、あやのが現実、みたいな。


『ヒトガタリ』は、2017年8月27日(日)11〜16時に尼崎市中小企業センターで開催される文学イベント「尼崎文学だらけ」で置いていただけるとのことです。


関東の人間には尼崎ってどこ状態ですが(すみません…)、兵庫県のようです。尼子騒兵衛先生?くらいしかイメージが……。

面白そうなイベントなのでいつか行ってみたいです。

 

尼崎文学だらけ

http://necotoco.com/nyanc/amabun/

web拍手 by FC2
posted by: nanori | 同人誌文学 | 01:05 | comments(0) | trackbacks(0) |-
ヒトガタリ

 

 

 出ました。人形小説アンソロジー『ヒトガタリ』!!!

 私も「繭子さんも私も」という作品で参加しています。

 

 素敵な表紙で*(人´∀`*)サモトラケのニケ。評判良いです。表紙〜いろいろ、西乃まりもさんが作ってくださいました。中の本文レイアウトなど、これも結構大変な作業ですが、柳田のりこさんです。ヒトガタリ、というすごいタイトルは杉背よいさん。ありがとうございます。本作るって本当すごいことだなあ。

 

 「人形。ヒトガタ。その儚さと輝き。

  バンドマンと紳士人形、

  原生人間とクローン人間、

  着付け教室の生徒とマネキン人形、

  女神像と巫女。

  ヒトの形をしたものと、それを取り巻く人々が織り成す、四つの物語。」

 

 そうです、人形は人が作ったもので、人のそばに寄り添うもので、人が何かを託して水に流すもので、いろんな形状や意味合いはあるでしょうが、人のいない別の世界に存在し(ているかもしれませんが)ているより、人がそれを見つけ、人のそばにあることで何らかの輝きが放たれるように思います。そして、物なので時には人の寿命より長く存在するようにも思えるのに、逆に何か儚さがあります。

 

4つの物語です。

 

杉背よい「シンギング・オブ・粉骨」

柳田のり子「別世界」

匹津なのり「繭子さんも私も」

西乃まりも「弔う火」

 

 全部全く違う世界観のお話で、人形も全然違います。でも全部、人形と人との交流です。

 まあ人形が何かのアクション、リアクションをするという点では、ファンタジーとかSFとかの力を借りることにはなりますが、結構リアルな世界観だったりして、それぞれの世界にぐっと引き込まれるのが読んでいて楽しいです。

 あんまりネタバレできないのですが……

 

 

杉背よいさん「シンギング・オブ・粉骨」

よいこぐまさん←クリックしたら大きくなり、本文冒頭読めます。

そう、バンドマン。おっさん人形ってとこから結構コミカルな設定ではありますが、かなり繊細な人間の心の描写が胸に迫って来て、華やかな世界や笑える設定がメインではなく、ここへもってくるのかという。テーマの「人形」からこういうお話を作るのか……。

 

柳田のり子さん「別世界」

柳田さん←クリックしたら大きくなり、本文冒頭読めます。

SF世界なのでちょっと不思議な感覚の人達ではありますが、彼らもいとおしいというか、ちょっと現代の感覚では言葉にしにくいような感動(なんだそれは)や得も言われぬ寂しさがあって、すごいな……という、頭全体どっかへ持ってかれるような衝撃を受けました。これも、「人形」からこういうお話を作るのか……。

 

西乃まりもさん「弔う火」

まりもさん←クリックしたら大きくなり、本文冒頭読めます。

これ、あまり筋や設定を言いたくなくて、本音では前情報無しで読んでもらいたいです。深い自然や建物が目の前に浮かんでくるような、静かで清らかな空間と、人間の情念のバランスがみごとで、何というか、一昔前の昼ドラのどろどろ、割と私も好きなんですが、一歩違えばああなりそうなのに、人形が絡んでとてもこう、しーんとした、不思議な静寂が生まれ、その中に潜んだ女の情念、というのが恐ろしくも非常に美しいと思うのです。書きすぎてしまった!!本当、「お人形」からこういうお話を……(以下同文)

 

最後に私、匹津なのり「繭子さんも私も」

まりもさん←クリックしたら大きくなり、本文冒頭読めます。

現実の東京都立川市周辺を舞台にしたお話です。実は繭子というのはずっと昔私のお気に入りの和装マネキンに付けた名前そのままで、その辺の設定だけふと思い出して持ってきました。多分これで一番普通な感じの作品。私は人形好きだけれど、人形と仲良いお友達になりたいとかは思っていなくて。私はやっぱり冷めた大人だから人形は人形なんですよね。親しみを持つ反面冷静に離れて日々の生活に帰るようなところもあっていいと思って。だからお人形好きの人でもコレクションが増えすぎたら売っちゃったりもするし。それでいいと思うんです。私の人形とのかかわり方みたいなのがちょっとこういう形なのかもしれないなと…本当人それぞれですが。

 

 

 良い本になったと思います。これから各地の文学系イベントなどに出現する予定ですので、是非皆さん、『ヒトガタリ』をよろしくお願いします。

 

 柳田のり子さんがブログでイベント参加情報なども詳しく書いていてくださってます。

http://yanabunn2.seesaa.net/article/441791487.html

 

JUGEMテーマ:同人誌

web拍手 by FC2
posted by: nanori | 同人誌文学 | 20:30 | comments(0) | trackbacks(0) |-
『おなかがすいて眠れぬ夜に』感想

 

世津路章さま

掌編≪俺のグルメ≫FESTIVALアンソロジー『おなかがすいて眠れぬ夜に』

 

 

http://conpotanomoo.blog.fc2.com/

こんぽた。様 (@compota_nomoo) のブログで[活動予定]の「グルメアンソロ」と書いてある本だと思います。気になったらイベントをチェックして是非入手してみてください。また、通販では架空ストアさんで手に入るようです。

架空ストアさんのページ → https://store.retro-biz.com/i12784.html

 

 

 私がこれまで読んだ本で、一番ひたすら幸せな本かもしれないです。48名の「これが!俺の!グルメだ!」というテーマの掌編アンソロジーです。あ、a piacereの相方のまりもさんも書かれてて知ったんですよ。

 

 ここから、病気に関連するめちゃ重な感想なので、一応記事を下に畳んでおきます。こういう風に読む人もいるよ、ということで。作者様方に感謝です。

 

続きを読む >> web拍手 by FC2
posted by: nanori | 同人誌文学 | 14:32 | comments(4) | trackbacks(0) |-
並木陽さま「斜陽の国のルスダン」感想書きました
斜陽の国のルスダン


並木陽さま 『斜陽の国のルスダン』@namicky24

 
 物語性のある美しい表紙ですね。帯もよく見るとただの黒じゃなくて美しい模様が入っているのです。あと、表紙のカバーの中と付録のサンスクリットみたいな日本語の書体も何か好き。別冊付録も嬉しいです。

 大きな危機を迎え傾きかけている国中世グルジアの女王のお話。もう一人で号泣してしまいました。
 以前グルジア史アンソロジーで並木さんがこれを題材にした短い漫画を描かれていて、そのイメージが初めにあったのですが、本当にあの絵のように繊細で美しい、こんな美しい歴史小説があるのかと思うような作品で、出会えて良かったと思います。もしかしたら少女漫画趣味ともいうのかもしれません(良い意味での、若い女性が特に好みそうな)が、かなり本格的な研究や考証をされた上でのしっかりした構想のお話で、結構誰でも読んで楽しめるだろうと思いました。非常に情緒的であり、また淡々と端的にまとまっているので骨太の長編大河ドラマみたいな雰囲気ではないのですが、文に余計な装飾が無いのに美しく、潔い感じの文章で引き込まれました。潔い……と感じたのは、山場はたくさんあってひとつひとつに思い入れを示しつつ、すぐ次に切り替わっていく潔さというか。こういう所が格調高く感じられるのかなあ。
 歴史ものに限らず、弱い立場として描かれる女性の、しかも若くて力のない人が頭を使って積極的に危機に立ち向かっていく話というのは下手をすると小賢しいような、逆に感情が激しいだけのありきたりな薄っぺらいものになってしまいそうでとても難しいと思うのですが、ルスダンいいですね。最後の方の決断とか、すごい素敵だと思いました。

 しかし歴史小説はいけない。結末が決まっているというのは、運命が決まっているという風にも感じられて。運命、というのは普通のお話の、現在進行の形の時間の流れの中ではあんまり意味が無いようなもので、何とでも辻褄合わせて言えるものだけれど、歴史の場合は事実がそこに閉じ込められているのだから、どうしてもああ、いまこんな風に楽しそうでも後でどうなることやら……と思ってしまって、だからまず最初の楽しそうな辺りで泣けます。あどけない頃のルスダン王女と、ルーム・セルジュークの美しい王子の微笑ましいやりとり、ここ私は本当泣けてしまいました。(´;ω;`)宝塚のエリザベートでも私は♪おひる〜には〜しん〜せ〜き……の歌のところでぼろぼろ涙をこぼしてしまいましたがああいう感じというか。
 ……あまり内容を詳しく書いてしまうともったいないので実際読んで頂くべきだと思います。どきどきわくわくする感じの爽快な話ではないのですが、その中でギオルギとかナサウィーとかとても味のある面白い人たちがいて、最初から最後まで楽しめました。
 ディミトリはちょっと不思議な人で、というかあんまり我が強くないから具体的にどのような人物なのかこの短い小説の中ではわからない部分も多いのですが(というか多分すごくいろんな悦びや悲しみで構成された人なので、こういう人だと最後まで断定したくない感じ。それはルスダンだけがわかっていればよいと思う)、落ち着いたいい人で線が細く野心が無いというか分をわきまえた頭脳派、と思ったら結構力技も使ってるから存外男っぽいのか、馬に乗る人だし。でもやっぱり帝王さまに愛されてると華奢な美少年のイメージになっちゃうし。下の立場からルスダンの魅力を単に引き立てているというよりも、弱かった彼女と同じ列に並んでいるような弱ーい立場の謙虚な少年であり、そして誰よりも強くルスダンを守る男でもあり。

 物凄いたくさん人が死んで、古い残酷な物語の雰囲気を含むから読むのがしんどくなる時もあるのですが、上記のように淡々と進めてくれるのでなんとか耐えられる……
 私は結構毒を含んだ文章が好きだけれど、そんな自分を思い違えていたのかというくらいこの清純な印象のお話を夢中で読んでいたのでした。もちろんなまなましい光景は小説を読んでいても目に浮かぶのだけれど「淫蕩」と言われるルスダンがあくまで清純に、といっても彼女は別に無知な小娘ではなく、逆に酸いも甘いも噛み分ける賢い女というのでもないのですが、清濁知っていてもそれでも尚清純である女性に描かれているように思いました。そしてどんな歴史書にも載っていない、弱く美しい無力な少女であり、そして冷たく心底強い女王でもある、これこそがルスダンだと言っても私はいいと思う。ああそうか、彼と彼女は似てるのだ。弱くて強い。最後、胸に突き刺さってくるような美しい歓喜を、もう本当涙なしには読めませんでした。最後は特に何度も読み返して、とても好きでした。
 
JUGEMテーマ:読書
web拍手 by FC2
posted by: nanori | 同人誌文学 | 21:18 | comments(0) | trackbacks(0) |-
2015年秋文学フリマ東京本の感想その2 ※ネタバレ注意
頭真っ新な状態で読みたい方は一応ご注意ください。


『喫水線』表紙

ヨモツヘグイニナさま『喫水線』

というご本に出合って。
 よもつへぐい、というのは多分古事記のあれだろうと思ったけどヨモツヘグイニナって? と思ってとりあえずネットで探したら不思議なタニシみたいなのの写真が……ああ、になかあ。ということでこのタニシもまた面白かったのですがあんまりくどくど書くのも野暮ったいような気がするのでここでは省略……。とにかくこの表紙のように、暗い水の中を思わせる不思議な話のご本でした。今日はとりあえず一作品だけですみません、孤伏澤つたゐさま「迎え火」の感想を。

 一緒に入っていたもう一つの作品はまた時間ができたら後日もっと詳しく書かせていただくかもしれませんが、せっかくだから一言だけ。渦保さまの「海面のクラゲ」は何かものすごく可愛らしい。読み終わっていとおしくなる。まあ状況としてはいろいろ怖いんだけど。


孤伏澤つたゐさま「迎え火」 @tutai_k

 世界から見捨てられたような排他的な過疎の漁村で、数少ない子供として老人達から将来を期待されて育ってきた少女の話で、設定もそうですが情景から暑い季節の汗だくな砂ぼこりまみれな感じから何から、とても憂鬱な、うんざりするような重たい時間が淡々と流れていて。はちこは唯一の同い年の幼馴染りりと姉妹のように育つが、途中から進路が分かれた。それでも別にはちこの世界が大きく変わったわけでもなく、広い世界に飛躍していけたわけでもなく、一人で孤立していてずっともうずっと重苦しい。
 個人的な記憶ですが、子供の頃は親がドライブ好きで、あちこち家族で車で出かけて、ただ山道を周遊したりするだけで、観光地や商業施設に行くわけじゃないんで結構何もない街を通ることもよくあって、車窓から外を見ながら、古びた街の古い何でもない汚い店なんかが見えるとよく、こんなところに取り残されたくない、良かった、自分がこれからずっとここで生活するんでなくてと今思うと非常に失礼なことを思っていた。自分の家が田舎の方だったので田舎にうんざりしていた、というのもあるけどそれだけでなく何か、すべてが「通過点」に見えていた。自分はこんな通過点で終わるのは嫌、もっと先のせめて少しでも先の、少しでも楽園みたいなところに行きたいんだと必死に思っていた。
 はちこにはそんな発想がまるで無くて、中学を出ると漁師か海女になるものなのに、村の反対をおしきってまで何故か遠くの高校に通ったものの、そこで自由を満喫するでもなく友達もなく一人で過ごして、毎日村に帰ってくる。帰ってくるとバス停までりりが迎えに来ている。そうか、そういえば私にはりりがいなかった。家族は「普通に」いたけれど、りりはいなかった。そんなことをぼんやり思い出した。
 はちこは一人で絵を描くようになった。足を舟虫にたかられている女の絵というのは想像するととても不気味で、彼女が何故そんな絵を描いたのかわからないけれど、あの磯を物凄い速足で駆け回る不吉な舟虫には小学生の頃初めて遭遇して私は悲鳴を上げた。漁村で暮らす彼らには舟虫の1匹2匹恐ろしいものでもなかっただろうが、私には1匹岩陰に隠れるのを見るだけでも恐ろしい。イザナミを蝕む虫、蛆虫はともかく、ゴロゴロいう雷などという古事記の謎の鬼神は昔から私にはあまりよくイメージできなかった。でも足に凄い勢いで這い上がってすぐ腿まで到達するであろう舟虫だったら私は非常に恐ろしい。もしかしたらイザナミの手足にまとわりついていた雷というのはああいう足の速い虫なんじゃないかという気がしてきた。わかんないけど。
 この世界ではちこはどこかぼやーっとした霧の中にいて、他人のことも部分的にしか詳しく書いていなくて、いろいろ深く考えていないとか自分で言うくらいで、常に彼女が何を考えているのかはっきりとはわからない妙な感じになっている。どこまでが現実でどこまでがあちらの世界に属する話なのかすらわからない。はちこがこの世に生きているということだけはわかる。はちこは古事記の内容を知らずにこの女と舟虫(のような甲虫)を描き、りりはそれを古事記みたいと言った。確かに陸で死んだ人には蛆がわく。海で死んだら、何が屍肉にたかるんだろう。少なくとも幸せな死に方ではないのだ。絵はりりの手にわたり、その後は他の誰にも見られることなく朽ちていこうとしている。りりがどう言ったとか、古事記がどうだとか、なんとなく間接的で、はちこ自身が何をどう思っていたのか、具体的な言葉では書いていないけれど、情熱は直接的に書かれていないけれど、作品の最後の言葉が全てだと思った。そうじゃないようでいて、実は小説の全てが彼女の彼女を愛する言葉だったように思えて、美しくて寂しかった。彼女に執着し彼女に焦がれ狂おしく思い慕い、彼女の全てが彼女のものだった。
 
JUGEMテーマ:同人誌


 
web拍手 by FC2
posted by: nanori | 同人誌文学 | 20:36 | comments(0) | trackbacks(0) |-
『グルジア史創作アンソロジーJVRIS』感想
グルジア史創作アンソロジー

グルジア史創作アンソロジー本 @guruan_2015


(====ここから しばらくただ興奮してるだけなので、感想は下へ飛んでください====)

 何か、何かすごい本に出合ってしまったという感じなんですが、グルジアの歴史のみのアンソロジーです。民舞人としてはこれは生涯本棚に入れておかねばなりません。と言っても、日本ではコーカサス(ロシア語的にはカフカス)の民族舞踊といえば、トム(※アルメニア人のダンス講師で昔からよく来日して様々なアルメニアンダンスを紹介している)のアルメニアが一番メジャーで、アゼルバイジャンの何故か現在かろうじて一曲だけ、しかしどこの大学フォークダンス部でも踊られているセシャミール(セイ・シャミル、セイフ・シャミール)という何かの戦争前夜(何の戦争なのか誰も知らない)をテーマにした大人気曲があって、それなのになぜかグルジアの踊りだけ日本ではほとんど聞かない……調べてわかったのはトムが紹介したグルジアの方の曲が日本のどこかで踊られているらしいということくらいで、グルジアは民舞人にもあまりよくわからない国なのです。ただ、グルジアの民族舞踊の動画や愛・地球博で買ったビデオを見ていたとき、アゼルバイジャンの「セシャミール」の旋律が頻繁に聴こえてきて、あれはひょっとしてグルジアとも何か関係のある踊りなのかなと気になっていました。動きも似てるし。民族衣装もアゼルバイジャンとよく似ています。今はインターネット等で資料も少しは集めやすくなってきたんでしょうが私が学生だった頃はコーカサスの民族衣装などの資料が全然なくて(私に調べる能力が欠けていたのでしょうが)、私は経堂の東京ロシア語学院の図書室に行ってロシア語で書かれた踊り本の絵をコピーしてきてそれを元に舞台用民族衣装を縫いました。それくらい謎の多い地域で、日本人には馴染みのない所ですねコーカサスは。

 で、グルジア史アンソロ。私も気にはなっていて、参加もしてみたかったんですが家庭の事情などで去年は全く動けない生活をしていて、ただでさえかなり頑張らないとグルジアわかんないし諦めました。でもこの本は絶対欲しいと思っていました。なんというこの素敵な表紙! まず表紙からして、素敵な民族衣装! こんな感じの着てたし! 作ったし! まだ持ってるし! みたいな。そっか、あれでタマラ女王のコスプレできる?! みたいな。(いや違うけど。奥付の絵の方が私の作ったのに近い)すごい興奮してしまいました。そういえば昔知りあいの女の子が「ちょっとアゼルバイジャンに行ってきまして〜」とビーズの付いた帽子とネックレスもお土産に買ってきてくれて持ってます。なんてフットワークの軽い人なんだと衝撃を受けましたが。

 ただ実を言うと正直に言うと、この本は漫画も有るけど小説メインと思っていたのです。私は漫画を読むのは好きだったんだけどもともと漫画の読解が苦手で、最近読まなくなったせいかもう本当に苦手になっていて、アンソロの多くが漫画だったので(汗)だから絵はかわい〜すてき〜と思いながら読んでましたがちゃんと内容が理解できていなかったら申し訳ないです。

(====ここまで====)

肝心の感想です。
 
続きを読む >>
web拍手 by FC2
posted by: nanori | 同人誌文学 | 19:01 | comments(0) | trackbacks(0) |-