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竹宮惠子『少年の名はジルベール』感想


 自分が好きだと思うものをどのように好きか熱心に語るのを読むのが私はとても好きで、竹宮さんの漫画に対する情熱を読むのは本当に楽しかった。絶対に譲れない自分の書きたい事、どんなもののどこを見ているか、自分は何ができて何ができていないのか、自分とは感じ方の違う人間がどのように物事をとらえて頭の中に置いているか、的確に説明する彼女の話を本当に夢中で読んだ。また、はっきりした好悪感情、若く批判的な視点、愛と嫉妬の入り混じった友人への思い、そしてかなり個性的な人々のこと、あのようにインパクトをもってその魅力を描けるのも多分竹宮さんの愛と才能だ。などなど一つの小説のように楽しんだ。
 竹宮惠子さんは昔から好きな漫画家さんで、彼女が漫画界でどのような位置づけであるとかいうことはほとんど知らなかったのだが、単純に面白くて「ファラオの墓」「私を月へ連れてって」「変奏曲」「イズァローン伝説」「ウェディングライセンス」「地球へ・・・」「ロンド・カプリチオーソ」「集まる日」「ブラボー・ラ・ネッシー」「ルナの太陽」長編も短編もメジャーなのも有名そうでないのもいろいろ読んだと思う。それからもう十年二十年経っているのでだいぶ忘れてしまったけれど、多分何かが私の心に確実に残っている。

 私は俗に言う花の24年組よりもうちょっと後の漫画の読者世代だけれど、子供の頃は漫画をよく読んでいて、小説を書くようになってからその構成や描写、セリフなんかを真似することもあり、少女漫画を一生懸命読んでいた時代にあそこからものすごく影響を受けていたことをずっと感じていた。私はおこずかいというものをあまりもらったことが無くて、お年玉は親と祖母から合計7千円。12で割ると月額583円のおこずかい、という感じ。まあそれ以外で最低限の洋服は買ってもらえるし勉強に必要なものはその都度これが要ると言えばはい、と千円くらいもらえるので余ったお金で駄菓子ぐらい買っていたけれど、駄菓子を買ったらそんなにお金は残らない。保護者同伴無しで遊びに行ったりショッピングをしたりは大学生までほぼしていない。本や漫画は親と一緒に本屋に行ったときにこれが欲しい、と言って許可をもらえたら買ってもらう、という感じだったので、つまり親が許可しない本は買ってもらえないということ。それに内容によってこれ買ってと言いにくいこともある。普段お金を持たないので金銭感覚もわからず本のような高いものをねだりにくい。お金がもったいないから本は古本屋で探して、無いものは本屋で、という家だったので、私の認識で本は古本屋にあるものを買うものという意識が強かった。大学に入り、バイトは始めたものの諸事情でやはり貧乏だった私がわずかな小銭を持って漫画を読むために通ったのは古本屋だった。私が小さいころの古本屋はカバーのないドラえもんが50円とか、中身さえ読めればいい人向けの棚が有ったのでそこでちまちま適当なものを買っていてまずそこから探す。古くて汚い本ほど安いからたくさん買える。古本屋でしか売ってない古い花とゆめコミックやらなにやら、友達が読んでいたものとはちょっと違うものに触れる機会がとても多かった。そこで竹宮惠子、萩尾望都、いろんな漫画に出会った。いろんな古本屋を回って全何巻なんていう長編を1冊ずつ集めたりもして、そしてお金が無いのでそれを何十回も繰り返し読んでいた。好きなものは何度読んでも面白くて泣いたり笑ったりした。私は漫画を読んでいたと言っても実は読むのが苦手でなかなか理解できないし時間がかかる。漫画ならなんでも好きだったわけではない。あまり分野を広げてもいない。川口まどか、神坂智子、山岸凉子、木原敏江、名香智子、森川久美、川原泉……,etcこれだけあれば当時人生の娯楽は十分で、私はしなければいけないことが多すぎて建前上なかなか時間が無かったけれど、時間さえあれば何度でも何度でも読みたかったし人の言う「暇」という感覚が私にはなかった。まあ漫画ばっかり読んでいたわけではないけれどもちろん。

 竹宮惠子の作品はいろいろ読んでいたと思うけれどリアルタイムで読んでいたわけではないのでいつ発行された本なのかということも気にしたことがなかった。その中でやはり、面白くないのもわけのわからないのもあったし、本当いろんな印象の作品があって、このエッセイで編集長に指摘される通り「いつも違う」ような、一貫したところのないバラバラな作風のイメージは確かにあった。純粋に「大大大好き」「絶対的に好き」とは言い切れない漫画家、けれど情熱的で、涙を流しながら感情を外にぶつける人物、そのきりきりした感情が胸に迫って痛かった。ものっすごい気障なセリフを吐いてる青年や、それに対する周りの人の反応のごちゃごちゃうるさい演技がかった描き方、つんとした女の子が「触らないで、ケチャップがつくわ」なんて気取ってそっぽを向くのを読んで「きゃーなんか読んでて恥ずかしい!!!!」と蹲ってしまうこともあった。あまりにも大袈裟な表現が生々しすぎて痛々しいほどで。このエッセイを読んで、ああ、あの作品を書いていた当時の竹宮さんはこんなに苦しんでいたのかと驚いた。その中でも好きな作品はもちろん有るのだけれど。そう、鴨の頭の話の作品もずっと昔そういえば読んだことが有って、「鴨の頭」はそれだけでも絵のビジュアルも奇妙な恐ろしさを感じたけれど、何で鴨? 鴨に何か意味が? と当時なんだかすごく唐突だなと思って、確かに夢に出てきて怖かったという話もそこに書いてあったような気がするけれど、ここで再会してああ、そういう恐ろしさだったのかと。

 私が一番最初に読んだ竹宮作品は「ファラオの墓」だった。小学生の頃親にもらった『少女漫画入門』という本にファラオの墓の登場人物の描き方が乗っていて、その少女があまりに美しかったので真似して描いてみたり(無理だった…)したことがあったからだ。実はこれは竹宮さんにとってターニングポイントとなる非常に重要な作品だったらしく、最初にこれに出会えて私はとてもよかったと思う。当時読みながら私は始終ハラハラどきどきして、うっわーうっわー言いながら、もう怖い、やめて、読みたくない、けど……どうなるのかなと目が離せなくて。時には号泣した。漫画であんなに泣いたのは初めてだった。最後まで楽しかった。でもこの回想によると、実はこの作品は初めて人を引き付ける作風を目指したもので、ああ、私がはまったのは作者の戦略だったのかとちょっと面白くなった。確かにこの作品は次々夢中にさせる要素が出てきて、どんどん盛り上がって本当に面白かった。これが少女漫画?! と思った。こういうのもあるんだ! って。手塚治虫みたいだね、って友達も言ってた。本当に作者の思惑通りでしたね。それまでのように自分の伝えたいことを一方的に読んで読んでと示すだけでなく、読者がどこに食いつくか初めて考えるようになり、連載時に読者アンケートの反応を見ることで読者と作者のやりとりがあり、試して研究を重ねて作り出したのだ。
 センスや感覚だけでなく頭を使って策を練り漫画を作っていくことを習得していった竹宮さんの方法論的な部分も非常に面白かった。そういえば昔読んだ何かの作品の中のほんの一場面で、古典の詩を朗読して「こういうのが素晴らしい、最近の詩は感覚だけで書いてるから駄目だ」と生意気なことを言う男の子がいたと思ったけど(どの作品で具体的に何と言ってたかな……覚えてない)、竹宮さんは当時多分、そういうことをああいう作品を描きつつ考えていたんだろう。
 そうそう、また何の作品か覚えていないが、少年が「デミアン」を読んでいるシーンがあった。何でもないシーンで本の表紙にデミアンと書いてあるだけなので何のことだか正確にはわからないけれど、何でデミアン? ヘッセの? と不思議に思って印象に残っていた。もしかしてこれは、萩尾望都にヘッセを送ったという増山さんの影響だったのだろうか。そういえば萩尾望都の「トーマの心臓」でもちょっとだけヘッセが出てきたけれど。そういう細かいことまで、このエッセイを読んでいたらいろいろ思い起こした。


 「少年の名はジルベール」――これは「風と木の詩」を書こうと思ったときに竹宮さんが具体的に一番に考えたことのようだ。ここまで書いておいてなんでやねんって感じですが実は私は風と木の詩については全然わからない。というか覚えていない。というのも、私が高校生の頃学校で漫画の回し読みが流行って、それでどーんと山のような単行本を借りたはいいけど、次の人が待ってると思うと早く読まなきゃと読むのが遅い私は焦ってしまって、読む巻の順番をことごとく間違えていた。普通に1巻から2巻、3巻と順に読むことがそんなに難しいことだとは皆思わないと思うのだけれど、私はそういうのが本当に苦手で、実はよくある。そういうときは一度頭をリセットして最初から読まないと本当に筋がわからなくなるのだ。でもそんな時間もなく急いで焦って最後まで読んでしまって、結局結末は覚えてるが話が全っ然わからなかったし人間関係もよくわからなかった。非常にきっつい、痛々しいシーンや登場人物の喪失感ややるせない思いみたいなシーンはところどころ印象に残っているけれど。まあなんとなく、おぼろげに。ファーストインプレッションと記憶が混乱してしまったというのと、今から読んで楽しめるのかどうかという怖さがあって、二十年以上前に読んでから一度も手に取っていない。竹宮惠子さんは少年が好きなようだけれど正直私は少年というものがそれほど好きではない。というか、好きになる要素が無いというか、あまり少年に触れる機会が無かったのでよくわからない。ただ、萩尾望都の少年は絵柄のせいか時々すごく美しいと思った。どちらかというとポーの一族やトーマの心臓の方に行ってしまった。そんなことがあって結局あの作品は読み返さないままきてしまったのだ。

 だけど、少年の名はジルベール。そう直感したという竹宮惠子さんの感性にははっとするような新鮮さと思い詰めたような自己の欲求への情熱を感じた。私の中に無い憧れをこの人は持っていると。もしかしたら今からでも読んでみたら私は何か新たなものが見つけられるのかもしれないし、もうそういう時は過ぎてしまったのかもしれないし、わからないけれど、またいつか読む時が来るような気がする。

 増山法恵さんという人の存在も今回ちゃんとわかった。お名前は時々目にすることはあったけれど、いったい彼女がどういう立場なのか全然わからなくて、原作を書いたりする人なのかなと漠然と思っていたのだけれど思った以上に竹宮惠子という漫画家になくてはならない存在なのだと知った。答えは本人に出させるけれど二人の会話の中でどんどん竹宮惠子の想像力を刺激し、知識と分析力で竹宮の中にあるものをどんどん引き出させ、とにかく竹宮さんが情熱的でありながら直感的に素材を把握し論理的にきっちりとストーリーや世界観を組み立てることのできる頭の良い人だったから増山さんのような天才的ともいえる人の力を利用することができたんじゃないかなあと思う。
 以前竹宮惠子の漫画入門?正確にタイトルが思い出せないけれど漫画の描き方を文章で説明した本を読んだことがあるのだけれど(これも面白かった!)、その中で一番印象に残ったのが、「リアリティ」を大事にしている人だということ。確かに私もその必要性を強く感じながら小説を書いている。彼女の言うには、必ずしもリアル(事実)でなくてもよい。まあ現実でないのだし、現実に拘るだけでは生み出せないものもある。説得力が有ればよいのだ。つまりリアルではなくリアリティ(それらしさ)を大事にしろと。このことに関しては目から鱗が落ちるようだった。

 竹宮さんは時々音楽関係の漫画も描いていて、その膨大な知識を吹き込みつつ音大生を集めて取材させる段取りもこの増山さんがしていたのだろうか? すごい才能の人がいたものだなあと思いつつ、そんな人が裏方に徹して人生の多くを費やすほど竹宮惠子さんの才能を買っていたんだなあとまた驚いた。実際竹宮惠子や萩尾望都は映画を一度見たらそのすべての場面を映像で思い出せるのだという。このエッセイでさらっと描かれていたけれどそれはすごすぎる。自分の印象の強かった一場面、だけでなく全部なのだから。映像の流れるのを目の前に見ているような感じで「ここの場面はこういうところがすごいね」「ああ、あそこ? そうね」等と話し合えるのだと。いや何この天才の集まり。
 戦後すぐ生まれのこの時代のことだから、新しい時代とはいえ若い女の子が一人暮らしをしたり漫画で生計を立てたりすることは世間では普通じゃなくて、大変な苦労もあったと思うし、どうしても出てくる「親」の存在もまた大きな壁で、どんな大きな志を持っていても親が駄目と言ったらもう駄目なのだ。箱入りで育てられた娘が勘当され飛び出して行って失敗すれば、誰にも助けてもらえずにのたれ死ぬしかない。まあ私が若い頃もそんな感じだったけど。友達も、弟の方がお年玉が多いんだとか言ってたしそういう「家」の女の子供の扱い方、そこそこの大学に行くような子でも、親がこれ以外の進路を認めない、と就職や結婚のことまで決めて仕方なく従ってる女の子も実はひそかに結構いた。私の世代では。そういう世界で生まれ育って、半分洗脳の状態から覚醒し自分で決めた自由な生き方をしたいという意欲を持ち続け、実際実行するということの難しさが私も少しはわかる。
 そういう事情でなかなか上京できなかった萩尾望都さんも、親との関わりについてはいろいろ漫画や文章で描かれていたと思うけれど、この増山さんという女性に関しても、彼女の意思に反して彼女をどうしても音大に行かせたい親を、いくら熱心に説得してもいくら大喧嘩しても状況は変わらず、何年も悶々とした日々を送っている、という本当に小説のような人生で、そういう時代に「少女漫画界に革命を起こしたい」と実際に行動していたあの方々は言葉で言うのは簡単だけれど想像以上に大変なことをしたのだと思う。原稿料も男より女の方が安いのがあたりまえだった時代。具体的には本で読んで頂いた方がいいと思うけれど、彼らのしたことは間違いなく革命だ。私自身はそこで行動を起こして飛び出せるほどの頭と勇気と確立した自我が無かったのを残念に思いつつ、彼女らのパワーに惹かれていた理由もそこだったのかもしれないと思う。もちろん出ていきたくない人は出て行かなくてもよい。守る力のある親の傍で娘が納得して生きられる状況なら別にそれ自体は悪いことではないだろうしそれも自由だ。しかし彼女らの外へと向かう才能を一生閉じ込めておいていいわけがない! 本当に竹宮作品の登場人物はいきいきして、生命力にあふれ、どこまでもどこまでも自分らしく自由に生きようとしていた。誰にも束縛されない「少年」、女は黙ってろの時代に肉体的に自由でいられる男の子、は当時の竹宮惠子にとって自由の象徴のようなところがあったようだ。

 それにしても感動したのは竹宮惠子さんの文章のうまさだ。もちろん漫画家は漫画で思いを形にすればよいので文章がうまくある必要はそれほどないと思うけれど。竹宮さんの文章も文法的にはところどころ粗が有って、漫画程の完成度ではないのだが、昔からなんとなく思っていたことではあるけれど散文の人なのだなあと思う。(漫画のコマに時々入ってくるポエムっぽいものは正直私には意味が全然わからなかった。そういうのは萩尾望都さんの方が好きだった。逆に、萩尾さんのエッセイは私には少し読みにくい)漫画を描く人が書いたこのエッセイ本自体が、読者をぐいぐい引き付けるすごい本だった。漫画を読んでいなくても、少女漫画の知識が何もなくても結構面白いと思うので、ちょっとでも興味があれば読む価値があるように思う。
 
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posted by: nanori | | 15:41 | comments(0) | trackbacks(0) |-









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