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母方祖母のこと

 私は少し、母方の祖母に幻想のようなものを抱いている。

 母方の祖母は遠くに住んでいて、小さい頃から年に一回も会えなかったのでどう接してよいかわからず、孫である私たちが小学生の時から何を言われても祖母に敬語を使い、何か買ってあげると言われてもいいです、と断るのを嘆いて、子供らしくない、張り合いが無いと母に言っていたというのを母からそのまんま聞いて(言う母もどうかと思うが)、自分が悪いんだな、好かれていないんだろうと思い込んで、特にこちらから何かをすることは無かった。東京の家では父方の祖母と同居していて、こっちの祖母が母方を良く思っていない様子で、母の実家に夏休みなどに一緒に帰省することはあったが何か不手際があると拗ねて大変だった。うちでは両親、子供達と父方祖母という一家が家族という認識で、そこによその人や親せきが入り込むのを極度に嫌がる雰囲気があったので、私は親戚だけでなく近所の大人と話すこともほとんどなかった。私の友達のことも親は気に入っていなかったし、そういう友達がたまに入り込んで、家の雰囲気を壊すようなことをしたら私が随分と怒られた。多分、排他的な一家だったと思う。

 

 母方祖母は女学生の頃学徒動員で自宅から遠いところの工場で飛行機を作っていたらしいが、自宅県に原爆が落とされ、急いで戻ってきて怪我人の看護をしていた。そのせいで二次被曝した。そういうのもあるのか体が弱く、私が高校生の時に大きな病気をしたときに、自分が被曝したせいなんじゃないかと悩んでいたらしい。それも母に聞いたが、会話すら初対面の人とのようになってしまうのに、というか電話番号も住所もわからない状態で、子供が勝手に親戚に連絡して親に怒られないか、ばかり気にして、どうすればよいかわからなかったので、おばあちゃんのせいじゃ無いよと言うことができないままになったのが気にかかっている。

 

 母のきょうだいが離婚してうちの隣に引っ越してきた時、母方の祖母が孫達を心配してしばらく一緒に隣に住んでいた。うちの母にとっても親戚なので、私の小学生中学生のいとこたちがうちに遊びに来ることもあった。ピアノの上手い子だったのでうちの親の許可を得てピアノを弾いたりしていた。同居していた父方の祖母はそれが気に入らず、うちにきてピアノなんて触って、勝手な事をしてといつも口汚く文句を言っていたが、多分自分が追い出されるんじゃないかという不安があったんだろう。ある時大爆発して、あいつらを家に入れるなら自分が出ていく! と大騒ぎして、いとこたちと母方の祖母はそれ以来うちに来なくなった。

 母方祖母は私が結婚して家を出てから時々手紙をくれた。丁寧な字で、誕生日おめでとうとお金や物を一緒に送ってくれたりして、私は少し戸惑っていたけれど、母によると、遠くに住んでいて、母の兄弟の方の孫達にはいろいろ世話したりしてあげたのに私には何もできなかったのがかわいそうと言っていたそうだ。多分、他の人から見ると私は冷たい、もっと自主的に母方祖母に何かしてあげればいいのにと思われるだろうと思う。だから母方祖母のことを誰にも言えなかったし、私が悪いんだと自分を責めることしかできなかった。でも祖母は私のそういうところをもしかしたら心配してくれていたのかもしれない。私が生きるのがつらくてしょうがない時に何もできなかった、と祖母こそが思っていてくれていたのかもしれない。

 

 母方祖母は私に子供が生まれる少し前に亡くなった。私は冷たいので、他の親戚については正直社交辞令以上にはあまり思わないけれど、あの祖母にだけは、子供を連れて見せに行きたかったと思う。私の心はいつもすごく麻痺していて、人の死に対して物凄く鈍感になっている部分があるけれど、ぼんやりと、ただおばあちゃんありがとう、とただそれだけ素直に言えばよかったのだ、と思う。少なくとも私がずっと恐れていたように、そうしたことで何だその口のききかたは、などと怒られることも罵られることも無かったに違いないのだ。あのおばあちゃんに限って言えば。

 

JUGEMテーマ:日記・一般

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posted by: nanori | 思い出 | 12:17 | comments(2) | trackbacks(0) |-
なのりさんは冷たくなんかないよ〜。(^∀^)
周りに合わせるしかなくて、もっと仲良くしたかったのにできなかったんだよね。

わたしも親戚とはあまり深いつきあいがなくて、いとこともほぼ挨拶だけ。大人になったからがんばって楽しくしようとして話すけど、何話していいかわかんなくて早く去りたいって思う。
そういう深まらない関係性の人はいるよね。けど、それはそういうご縁だったんだよ。きっと..。
そこを無理して追いかけないで、深く関わることになるべくしてなった人と、しっかり付き合っていけばいいと思うんだ。

おばあちゃんは、他のお孫さんをかわいがるとき、きっとなのりさんのこともいつも気にかけてくれてたんだね。
もし亡くなって誰かの守護霊になれるとしたら、なのりさんとこに来て守ってくれてる気がする〜。(^o^)

親が被曝してるだけで結婚を破棄されることもあるようなので、体に何らかの影響があるのかないのか...誰にもわからなくて不安だから、父方のおばあさんも過敏になっていたのかも。怒るというのは、自分の大事なものが脅かされるときに起こる感情っていうから、おばあさんも怖かったんじゃないかな。
そういうの、話で聞くと差別されてかわいそうって思うけど、自分の身にふりかかってきたら排除できるならしたいと思うものなんじゃないかな。
・・とかいろいろ考えちゃうね。
| カッパ | 2016/06/22 11:07 AM |
>カッパさん
ありがとうございます(><)優しいお言葉を……
どうしても、離れてるおばあさんにもっと優しくすべき、とか、もっと孫の方から密に連絡とってあげないと!みたいな風潮があって、親や祖母に優しくできないことを後ろめたくずーっと思ってたというか。手紙の返事とかしてたくらいで。

そうですね、両方とも広島の人ですが被爆者に対してどういう認識か聞いたことはなかったんで、まあ父方祖母はいろいろ問題ある人だったので、何かいろいろあったのかもしれないですね。確かに私もやっぱり他人に被曝3世ですなんて自己紹介するの何か怖いし。。。いろいろ考えちゃいますね。
| なのり | 2016/06/24 5:06 PM |









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