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ひとりぼっちを抱きしめて
ひとりぼっちを抱きしめて (JUGEMレビュー »)
日本糖尿病協会,荻原 友未,滝井 正人
過食症になった1型糖尿病の女性と医師の往復書簡
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漢字テストの思い出
パソコンや携帯で文章を書くのに慣れている皆さん。
紙にボールペンで、
「ゆうかん」
を漢字で書けますか?
ゆうきがあっていさましい、などの意味の「ゆうかん」です。
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posted by: nanori | 思い出 | 18:51 | comments(4) | trackbacks(0) |-
野鳥との思い出

※バードセイバーの作り方については別記事: バードセイバーの作り方について

 

中学高校は山の上にあったので、自然いっぱいな環境で育った私。
制服で野山を駆け回り、草の中に寝っ転がって、ミミズを掘り起こし、桜の木からサクランボを取って食べては楽しい学園生活を送っていました。
さて。山の中なので、当然野生の動物も出没します。
別に熊とかは出ませんが、近くにイノシシが出没したとか。。。見てないけど。
もっと身近には、野鳥がいろいろ来ていました。
都会のビルなどでも、野鳥が透明な窓ガラスに気付かず突進してしまう事故があります。山の中の学校なら尚更です。
そこで、日本野鳥の会で推奨されて広まっているのが

バードセイバー

です。
入学当初から、学校の窓ガラスに鳥の絵のコピーを切り取って貼ってあるのを何かの飾りかなと思って見ていたものですが。あれには意味がありました。
バードセイバーというのは、鷹などの絵の形を、窓ガラスに貼ることで、飛んでくる野鳥にそのシルエットを認識させ、衝突を回避するものです。
野鳥は飛行中他の鳥との衝突を避けるため、本能的に、近くに鳥影を見ると回避する習性があります。(それも、鷹の仲間の方がよい)

そこで、バードセイバーの、窓の外側になる面は黒く塗りつぶし、鳥の形を見せます。そして、窓の内側は、人間用に、鳥の模様や顔が見えるようになっています(実質的には絵の模様などは意味がありません)。
作り方は、バードセイバーになる鳥の形の絵(A4~A3サイズなど大き目がいい)を用意して、輪郭を切り取り、絵の裏を鉛筆で真っ黒に塗る。以上です。セロテープで、黒い方を外に見せるように貼ります。

そういうものを一定の間隔を置いて廊下の窓に貼っていく作業を、その春も我がバードゥが始めた矢先のことでした。
バードゥについてはこちら参照

ある日の放課後、高校校舎の脇を通りかかると、鳥が落ちていました。
なんと、トラツグミです。小鳥というよりはちょっと大きめだけれど、鳩ほどは大きくありません。
それほどよく鳥の種類を知っていたわけでもないし、トラツグミなんて見たこと無かったんですが、「虎柄」「ツグミ型」の鳥なんでどうみてもトラツグミでした。
どうやら、バードセイバーの貼っていない窓にぶつかって落ちたようです。
カワイソウ(*´Д`)

私はどうしていいかわからず、ゼイゼイ肩を振るわせているトラツグミを手で包み、がんばれーがんばれー大丈夫だよと言っていました。でも、心臓の小さなか弱い鳥です。死ぬということはすぐにわかりました。せめて恐怖の中でなく、安心して死なせてあげたい・・・と言っても多分日本語は鳥には通じなかったでしょう。せっかくカトリックの学校だったのだからもうちょっと気の利いたお祈りとか、思いつけばよかったんですが、私はなんだかがんばれーと言い続けていたような記憶があります。

あっけなくちいさな体は動きを止め、固く冷たくなってしまいました。

その後どうしたのか覚えていませんが、ネズミだって花と一緒に埋めてやった私のことだから、裏山に埋めたんだと思います。

それからもちろん、バードセイバーの数を増やしました。
私の手の中でやわらかい羽毛に包まれた鳥がゼイゼイ息をしている感覚と、それがふと消えてしまったときのことは、未だに記憶に残っています。

もともとはこんな山に校舎なんて無く、野鳥も好きに野山を飛び回っていただろうにね。人間が勝手に学校の敷地にしたばかりにかわいそうでした。自然環境の豊かなところに住むのであれば、自然との共存を考え、最大限の努力をしていかなければならないですね。

バードセイバー
この裏側を真っ黒に塗ります。鳥に見えるようにしましょう。裏を黒くしないと、鳥にはよく見えないみたいですよ。

タカ丸くん
↑こういうところで配布さえれているみたいです。ダウンロードもできるみたいですね。うちの学校では一つ入手したのを沢山コピーして使ってました。

今度は高校時代の行き過ぎたいたずらとかの話を載せちゃおうかな〜(と書いておかないと忘れそう)

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posted by: nanori | 思い出 | 19:33 | comments(0) | trackbacks(0) |-
先生の残したお言葉
私の母校の創立者シスターマリア・マダレナははたくさんの愛情のこもった言葉を生徒達に残されました。

「他人の悪口を言いたくなった時には
『私はあの人より卑しい人間だなあ
しかも他人の悪口をいい
神様はこういうことをおきらいだ、
他人を愛せよとおっしゃって
私は他人から悪口をいわれるといやなのと同じように、
私があの人の悪口を言ったらあの人はどんなにいやだろう』
そう思って他人の悪口を言わない努力をしていい習慣を作りましょう。」

大変心に染みます。(先生が生徒の前で話した朝礼の録音テープそのままなので文章としてはわかりにくいかもしれません)

それで、私も相手が悪いと思っても即座に陰口なんて言わず、とりあえずまず自分を反省してみることをおぼえたものです。
が。
しかし。
私はそんなに出来た人間ではないので。。。。当然

のわ〜〜〜〜(;`皿´)ノ!!

・・・という時も多々あります。
( ̄× ̄)イイタイヨ〜

でもマリア・マダレナ先生のお言葉には弱いのでとりあえず悪口はやめときます。
我ながら当時一番感受性の鋭いときだったので完全に刷り込まれてしまったかもしれないです。。。

ただ、世の中にはいろんな人がいて、皆悪意があるわけではなく人を困らせたりすることもあるのだ、ということは冷静に考えると理解できますね。
しかもそれは他人の行動についてだけでなく、自分も気付かずに人に迷惑をかけているのかもしれないと思うと、少し心を広くする必要があるような気になってきますね。


「くだらないものでなく、長く生命をもつよい本をよみなさい。智恵と心の糧となる本を。」
というお言葉は、ええ〜〜〜(´△`;)って思ったけど。漫画ダメ?
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posted by: nanori | 思い出 | 20:00 | comments(0) | trackbacks(0) |-
PHSの思い出
日付変わったということで、土曜日の分も書き込みしちゃいます(笑)

今日からちょっと出かけてきます。
「モブログ」というので、携帯から専用のアドレスにメールを送ると、ブログ記事として投稿できる機能もあるんで、家にいない時もそれで書けるんですよね。
でも、私は携帯メールを書くのが好きではなく(かなり面倒)、よほど時間がある時でないとモブログはしないだろうなあ・・・
あ、もしかしたら、新幹線の中で書くかもしれません!(>w<)

そこで、今日は。携帯のこと。
二年前まで私はPHS愛好者で、およそ6年間くらいPHSを使っていました。
その後、周囲にPHSを使っている人が少なく、メールのやりとりなどもかなりお金がかかるようになってきたので、携帯に変えました。

で、PHSを使っていた頃も何度も買い換えましたが、最初はストレート型で蓋のついた、おもちゃみたいな電話機でした。でもそれがまたかわいらしく、Pメールという、対応機種同士で10数文字のメッセージが送れる機能もついていました。
無料キャンペーンでゲット。当時DDIという会社でした。

ところが、まだPメールでさえも普及していなかった時代、やりとりできる肝心の相手がおらず、そうこうしているうちにお金が払えず解約。仲間内でPメールが流行りだしたのはその後でした。

その後、モニターで無料だとのことで友達に勧められてアステルPHSにしたり(モニター会社倒産。予定金額全部は支払われず。)、時代に逆行してポケベルにしたり・・・の後、またDDIポケットのPHSに戻りました。

そうこうしているうちに「H”」というEメールもできる新しい電話もできて、その頃流行りだした携帯電話に友達が続々移行するのを横目に、安くてデザインがかわいく手軽なPHSファンだった私です。

ところが。

私のようなちょっとマイナー路線の方の中になら、もしかしたら賛同してくれる人もいるかもしれませんが。
初期のPHSって、文字の入力方法が、今の携帯と違いませんでした?
少なくとも、二通り選べませんでした??

今、携帯メールで
「ろんどんばし」
と入力するとき、
携帯:9999900044444*0006*33

とか押しますけど、昔はこうでした。
PHS:950940*0361*32

あってるかな・・・

「こんにちは」
携帯:2222200055446
PHS:2503524261

「そとのくうきをいれる」
携帯:3333344444555552221112200119999→999
PHS:35455523132202119493

うが〜面倒。間違ってたらすいません。

そう、PHSの文字入力はポケベル方式だったのです。
今の携帯は賢いので「こんにちは」なんかは「こん」まで入力しようとしたら勝手に予測して単語を出してくれますけど。
「お」の段になると、5回もキーを押すうちに嫌になってしまいます。
PHSなら、子音+母音で一文字という、ローマ字入力の感覚、つまりキータッチは基本的に一度で、全て2つのキーを押せば良いのです。
これなら「も」をうっかり通り過ぎて「ま」に戻っちゃった!などという苛立ちもありません。

その方式が、何故か私の最後のPHS頃には無くなってしまったんですよ!(TT)

また、おもちゃっぽいかわいらしさがPHSの魅力だと思っていたのに、H”になってからは、デザインがごつく、ピカピカしたメタル調になってしまい、私としては大変幻滅でした。
機能はいいんですけどね〜。

その後PHSと別に、ライブドアとの契約で安く買ったAirH"でネットをするようになって、それもかなり便利だったのですが、そのうち我が家も遅まきながらブロードバンドになって、エアエッジを解約しました。

結局私がPHSを愛好する理由がだんだん無くなってきて、それでもって結局携帯に移行した私ですが、今でも時々、初期の頃のPHSの良さを思い出します。

私は今携帯が便利だから使っているけれど、携帯自体好きかどうかと言われるとそうでもないです・・・。でも、PHSを持っていた頃は、PHSが好きでした。PHSのキャンペーンガールになりたいと思ってバイトしようとしたり(何故かパソコン関係の仕事ということに話が変わっていたけど)したくらいです。

またあんな風な、愛される機械を企業が作ってくれたらいいな〜と思っています。
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posted by: nanori | 思い出 | 00:00 | comments(8) | trackbacks(0) |-
修学旅行
ここのところ何故か毎日分更新していますが、土日はネットお休みします(^^)/

さて、また思い出話で退屈かもしれませんが・・・
修学旅行のことを思い出したので、当時のことをちらりと書いてみようかと思います。うちの学校では「学習旅行」と言っていました。中学の時の学習旅行は「京都・奈良」でした。秋の京都は大変情緒があって素敵だった、と思うんですが、なにしろありがたみのわからない中学生だったので、素敵だったかどうかまで覚えていません。。。

班ごとにテーマを決めて(テーマが決まっている班が最初にあって、希望者がそこに入るしくみ)計画を立て、全体行動と別に、班ごとに違うコースを決めて見学するという面白い企画だったんですが、なにしろありがたみのわからない中学生・・・。京都のなんたるかも知らず、後で親に呆れられることになります。

私は仲良しグループに入っただけなんですが、そこがたまたま「陶芸班」という、陶芸関係の名所を回る班だったので、
河合寛次郎記念館誰・・・?
とか、登り窯とか、何が何だかわからず見てきました。
それから、どこかの絵付け体験(清水焼)とかで、湯飲みに絵を描いてきました。
結局誰一人、陶芸に興味の有る人はいませんでした。。。。。

あと印象深く覚えているのは・・・
全体で行った興福寺、東大寺、唐招提寺、法隆寺夢殿、新薬師寺?、飛鳥資料館、亀石、奈良公園の鹿、バスから見た飛鳥の夕日・・・って、一日だけいた奈良ばっかじゃん。。

しかも京都の清水焼絵付け体験の湯飲みはまだうちにあるんですが、描いた絵は蒲生野の原(滋賀県)、そこに万葉集(飛鳥時代)の短歌・・・「あかねさす紫野行き・・」っていう分でした。

帰ってから家族や親戚からさんざん、
「金閣寺行かなかったの?」
「京都御所は?」
「三千院は?」
「若草山知らないの?」
と浴びせかけられましたが、なにそれ???(^^;)???状態でした。
いえ、金閣寺行かなかったけどちゃんと金閣寺キーホルダーをおみやげに買ってきました(笑)

でも、一応、清水寺と智積院と八坂神社(提灯がいっぱい有った)、三十三間堂へ行ったことは覚えています。

三十三間堂(蓮華王院)では入り口に「脱帽のこと」と書いてありました。
うちの学校の制服にはベレー帽がついていたので、皆律儀にベレーを取って中に入ったものの・・・そこまではよかったんですが・・・。
時間が無かったので端から端まで皆で駆け抜けたことを覚えています。
そこには千手観音が千+1体あって、なんだか自分と同じ顔を探すとなんとか、とかいろいろ言われはあったようでしたが、そんな時間的余裕も無く、ただ「ちら」と横目で見ながら三十三間疾走した中学生集団・・・。

また、学生って歩きながら歌うじゃないですか。遠足なんかで、カラオケが無くても歌集の「レロンレロンシンタ」とか「グリーングリーン」とか歌ってるのと同じ感覚で、何故か

「ハレルヤコーラス」(ヘンデル)
「アヴェマリア」(アルカデルト)
「ルドビコ様」(・・・?聖歌)


をアカペラで合唱しながら神社仏閣を歩き回る中学生集団・・・。(うちはカトリックの学校だったんで、歌詞カード無しで歌えるのはそんなのばっかりだったのです)

先生・・・子供達注意した方がいいですよ。。。

当時の我々はよっぽど京都に関心が無かったようです。

現実ってそんなもんですよ・・・「マリア様がみてる」の世界なんて幻想ですよ・・・

おお〜話がどんどんずれて行ってしまった!
オチは特にありません。。。。。。
ちなみに、河合寛次郎は大正〜昭和の有名な陶芸家らしいです。
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posted by: nanori | 思い出 | 21:34 | comments(0) | trackbacks(0) |-
クラブ活動の思い出
えへへ・・久々の出勤。という感覚だけど、考えてみたら普通に土日休みで月曜から普通に出勤、でした。お盆だから感覚がちょっと狂ってしまってますね。
職場の入り口は鍵が掛かってて、カード通さないと開かないし。

さて、今日はふと思い出したことがあったので書いておこうかと思います。
私のサイト本館「二月はじめに・・・」は一応自作小説サイトです。そこで「フォークダンスの神が降臨する」を読んで下さった方もいると思いますが、その話でサークルの存続の危機についていろいろ書いたことがありました。
それに関連して、今頃になってふと思い出したことがあります。

私は中高一貫の女子校に通っていたんですが、そこでは、課外クラブの多くが中高一貫で活動していました。
私は当時からいろんなことに興味を持つ方だったので、あれこれ中途半端にうろうろしていたんですが、中3の時突然、友達と一緒にバードウォッチングクラブというのに入りました。
顧問は理科のとても厳しいF先生で、戦前生まれの商船高校のようなところで実践を積んだ強い精神と肉体を併せ持った、きりっとした初老の先生でした。生活指導も厳しく、生徒の服装の乱れも生活態度もびしばし叱りました。修学旅行にカーラーを持って行った生徒達を廊下に正座させて叱責し、翌朝早朝マラソンさせたのもこの先生です。
びしびしと進める先生の厳しい授業、教室にピーンと張りつめた緊張感は、その後どんな授業でも経験したことのないくらいのものでした。

でも、F先生は一方で「日本野鳥の会」の会員で、にこにこしながらかわいい小鳥を愛で、理科室の水道でマリモを育てるおちゃめなところもある先生でもありました。実際、クリスチャンで生徒思いの良い先生だったと思います。そのギャップが生徒から見ても大変ほほえましく、恐れつつも慕う生徒も多かったと思います。
私も、理科の成績はいまひとつながら、先生が好きだったという理由もあって、先生が顧問をするバードウォッチング部に入った気がします。

さて。入部した時は、クラスメイト達が結構沢山いたんですが、私たちが中学を卒業する時、どういうわけか、私以外の皆がいなくなってしまいました。
その経緯ははっきり覚えていないんですが、ひとりやめふたりやめ、といった感じだったような・・・中学卒業するのをきっかけにやめた、という人が多かったです。

(当時のことを私が言いふらしたの覚えてる方、本人が忘れました。補足情報下さい〜)

で、他の学年はというと、中高全6学年のうち、私たちの他は、3つ上の学年の3人の先輩達しかいませんでした。
つまり・・・部長を含めた高校3年生。その方々が、全員卒業してしまったのです。
そして残されたのは、私一人・・・あれ??

クラブを総括するのは、生徒会の下にある「クラブ協議会」という組織でした。定期的にクラブの代表者が集まるんですが、うちのクラブが私一人しかいなくなってしまったことを受け、このままではクラブが潰れてしまうという段階になって、「どうしますか」と言われたんです。
「あー、F先生もクラブを継続させたいと思いますし〜」とかわけのわからないことを言って、とりあえず部員を入れる猶予期間をもらうことにしました。

まあ、実際私も、クラブが潰れたところで大してダメージは受けないんですが、F先生がずっと思い入れをもって続けてきたサークルであるということの方が私にとって重要だった気がして。

「どれくらい時間があれば5人集められますか」
規約では、5人いれば準クラブ、10人で正式なクラブに昇格、というシステムになっていたような気がします。だから、バードゥは準クラブとクラブを行き来するクラブとしてずっと存続して来ていたんだと思います。
で、中学生の私は平均的な中学生よりぽ〜〜な中学生だったので、具体的にどうしたらメンバーを増やせるかとか、どれくらいの期間猶予をもらうのが一般的かとか、さっぱりわからなかったんですね。で、
「2週間時間ください」
と言ってしまいました。
「2週間でいいの?!」
とクラブ協議会のトップに目を丸くされて、しまったと思ったんですが、後にも引けず、ま、いいやと2週間もらいました。その間に5人集まらなかったら廃部です。或る意味潔くてかっこいいなあ〜。(実は何の勝算も無い)

ところが。
女の子ってわりと、クラスでグループを作るじゃないですか。そこで、クラスメイトのその頃仲良くなった一人の子に声をかけてみたら、「入る入る」と言ってくれて、そのグループの子一気に4人、それから、一つ下の学年のFちゃんファンっぽい子に声をかけたら快諾。2週間経たずに5人以上集まってしまいました。

全然ドラマチックな話でも何でもないんですが、そういう経緯だったんで必然的に私が部長になってしまい、やっぱりぽ〜〜なクラブ生活でしたが、それなりに楽しかったと思います。

思い出と言えば・・・その学校はわりと、定期的にある英単語コンクールや漢字コンクールの順位を張り出したり、また、冬の持久走の授業のタイムの上位者を張り出したりするような学校だったのですが、たまに私も持久走でいいタイムを出すことが有ったから、私の名前と共に、所属クラブ名も張り出されていたんですよ。
所属クラブ名を出す理由はさっぱりわかりませんが。

で、「テニス」「弓道」「演劇」「バトン」とかだったら普通に載るんですが、なにしろ「バードウォッチング部」は長い・・・スペースの関係でいつも
「バードウ」
までしか載せてくれなかったんです・・・・
怪し過ぎ・・・(ノ ̄O ̄)ノ(シ_ _)シノ(ノ ̄O ̄)ノ(シ_ _)シ ば〜どぅ〜

また、運動会の時のことも思い出しました。
何故か「クラブ対抗リレー」というのがあって、各自好きな服装で、5人くらいでレースに出るんですが、クラブのコスチュームや胴衣を着て、バスケットボールや竹刀を持って走る人々の中、ボール紙などで作った鳥の羽とくちばしで仮装して、旗を振ってスタートラインに立った友人Kの勇姿と、F先生が定年で非常勤講師になってしまったので交替した正式顧問のW先生がちゃんと羽ばたいて走ってくれた姿が今でも目に焼き付いています。
(私は顧問の先生に出番を譲りましたw)

持久走やリレーで一躍学校に名を知らしめたバードゥですが、その後はどうなったかというと。
私の高校卒業後、教育実習に行く頃までは存続していた模様ですが、現在はもう無くなってしまったようです。寂しいことです。
でも考えてみたら結構何にもしないクラブだったな(笑)。

という、思い出でした。ああいうことがあったから、無意識にこんな小説書いたのでしょう。
クラブ活動はいいですね。いろんな意味で面白いものでした。はは・・・終戦記念日に何書いてるんだか(^^;)
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posted by: nanori | 思い出 | 12:27 | comments(0) | trackbacks(0) |-
安住の
この左の女の子がオリーブ

先日親が職場にいた私の携帯に電話してきて、私の部屋からCDラジカセを持ち出したとのことでした。それは別にかまわないし、最初は特に気にしていなかったんですが・・・

家に戻ってみたら、机の上にいたオリーブ(ジェニーフレンド)が倒れてる・・・
「?」
最初気づきませんでしたが、そうだ・・・親が私の部屋に入って、机の上のラジカセを持っていったんだ。

・・・って、この卓上のジェニーズやプーリップ達やリトルプーリップ達やバービー達(各4、2、2、4体、計12)、見られたのね(TT)
部屋がお人形ですごいことになってるの、もう隠しようがないです(^^;
さらに、机の下にもっとたくさんいることまでばれてるんだろうか。
そうだよな。学生のときとかも、私が書いた変な四コマ漫画(絵が下手すぎて、全身描かなくてよい四コマしか描けない)を机の引き出しに入れていたら、いつの間にかコピーして親戚に配るような親だからな(O__)O
だから「グロリアの物語」(自作小説)の原型だって、見つかるとやばいので高校のクラスメイトに何年も預かってもらってたんだった。忘れちゃだめじゃん。

最近、私のお人形趣味が結構周辺の人にばれてしまっているし、そうなるとこのサイトの存在も知り合いに知られているような気がしないでもないです。最近皆さんの態度がおかしい。何か言いたげなような。気のせい?

またジプシーのようにネット上を彷徨うことになるのか。。。。。。安住の地はどこに。

いや、安住も何も、要するに私がぺらぺらしゃべりすぎるから(;´Д`)このサイトでも、現実世界でも、自分のことはついぺらぺらと。
王様の耳はろばの耳〜(?)

思い出しついでに、その漫画の話ね。
もともと、小学生の時から漫画は好きで、友達とよく遊びで、ギャグ漫画っぽいものを描いてたんです。一ページを十字に線引きして起承転結も考えず淡々と

こんなような絵で描いてました。(当時から今までほんとにこんな感じです)自分のペットを主人公にしたりとか、嫌いな友達とかを変な顔で描いたりとかして。。。お馬鹿な子供だったことがばればれですが。
私が趣味として絵に関わったのはそんなものくらいですね。

小学生のとき、クラスに大抵一人か二人くらい、絵のうまい女の子がいて、すごい尊敬されてました。勉強ができる子より人気者だったと思います。うらやましいな〜と思ってました。
その後も図画や美術の成績はさんざんで、苦手な音楽のテストで「頑張ったのに全くできなかったなあ」と思ったのより美術が更に悪い点数なのを見て、絵はどこをどうしたら良くなるのかさえさっぱりわからず、とうとう苦手なままでした。(´`)/⌒*

ということで、やっぱり漫画は無理なんですが、私はお人形を、理想のかわいい漫画絵を見ているように眺めています。
お人形を集めるようになったのはかなり最近のことですが、ためつすがめつ眺めては喜んでいる自分に結構納得。
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posted by: nanori | 思い出 | 21:55 | comments(3) | trackbacks(0) |-
昨日
中学高校の時の国語の先生が亡くなったのです。
脳腫瘍だったそうです。
突然のことにちょっとショックを受けました。まだ若い先生なんですよ。。。
人っていつ何があるかわからないですよね。悲しいですけれど。
いつまでも思い出はそのまんまあの場所にあると思っていたのにな。
遠く離れた故郷にもうその方はいないなんてね。
時々人の死についてものを思う歳になりましたね・・・。
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posted by: nanori | 思い出 | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) |-
なつかしのおもちゃ屋さん
<今日のお人形更新>
「スーパーコーディネートジェニーのページ1」作りました。


地元に小さなおもちゃ屋さんがあります。
私が小学生の頃には既に有って、当時店の半分は文房具を売っていて、半分はおもちゃを売っていました。小学生の頃買いに行ったのは、メインは文房具です。かわいいシャーペンとか、消しゴムとか、また、BB弾や豆電球なんかも楽しみに買いに行っていました。そんなのばっかりだったから、当時どんなおもちゃが有ったのかは記憶に無いのですが・・・。
友達の誕生日にはそこで「のり」とか「クリップ」とか買ってあげてました。めちゃくちゃ事務用品じゃん(>m<)

当時は一人っ子でもなければ市販のおもちゃは買ってもらえないのが普通だったと(多分)思いますが、その分、自分で鉛筆の箱の窓にセロハン貼って中で豆電球灯してスライド作って自作プロジェクター...なんて、変な遊びやってましたね。あと、自分で漫画みたいなの描いたり。それなりに楽しかったです。


そのおもちゃ屋さんは、確か私が中学になるかならないかの頃改装して、中は狭いけど明るくなり、外観は夢の国のような色彩になり、シャッターにスーパーマリオを描いたりし、大分雰囲気が変わりました。その頃久々にここで文具を買おうと入ってみたら、文具はもう扱っていませんでした。それ以来、随分長いことそこへ足を踏み入れてなかったんですが・・・。

先日、ダメもとで、ジェニー関連のものなんて置いてるのかな〜と寄ってみました。すると、入って目の前に・・・
「5割引」という張り紙のしてある茶箱のジェニーフレンド達が。。。。。。

いや〜こんなところに有るもんですねえ。びっくりしました。
品数は本当に少ないですが、ジェニー以外のお人形(リカちゃんとか)もかなり少なかったので、このおもちゃ屋の全体的な割合からすると立派にジェニーを扱っているお店と言えそうでした。(市内で初めて)
古い子ばっかりでしたけど。1990年代のチューリップの服着たカレンダーガールとか。だからもう、今後入荷しないかもしれませんね。

私が既に持っている茶箱ジュリアも半額の1250円で売ってましたよ。その他は売れ残りっぽく、あまり欲しい子がいなかったんですが。。妊婦リカちゃんも3900いくらの値がついてたのが1980円で売ってました。

大型ショッピングセンターのあおりを受けている地元商店街、頑張って欲しいですね。
ショッピングセンターにはジェニーいないですもん。。。(^^;)応援しちゃう。(でもきっと、売れないから残ってたんだなあ・・・)
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posted by: nanori | 思い出 | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) |-
創意工夫?
フルーツロリータジュリア。くるくる髪はかわいいですね〜。この子は青っぽい服が似合う気がするのです。この衣装、何故かよくわかりませんがとっても着せやすかったです。こういうのってどうやって作るんでしょう。

そういえば私もかなり昔リカちゃんの洋服を作ったことがあります。高校生の頃かな?家庭科の教科書を見ながら、中世ヨーロッパ風のローブを作ろうとしていました。でも参考にしたのが家にあった「少女漫画入門」(笑)。少女漫画の描き方を説明した、小学生向けの本で、いろいろな時代の衣装の絵が参考にたくさん描いてあり、例えば竹宮恵子さんの「ファラオの墓」のナイルの描き方とか、参考になるようなならないような(^^;ちょっと面白い本で、今もうちの本棚のどこかに有ります。

で、そんなものを参考にしたので、素材もさっぱりわからず、それでもわりと絵の通りの「形」にはなりました。型紙よく作ったなあと自分でも思います。が、イラストの通りだと立体にするとなんだか不自然で・・・。結局全然中世っぽくない普通のロングドレスになり、そのままそれ以上手を加えるのをやめました。

思い出しました・・・私のリカちゃん人形、その服を着せたまま人に貸したっきりでした!どうなってるんだろう今ごろ・・・。

その他、中学高校の頃欲しいけれど手に入らないものが多かったので、こうしてみるとこれでも少しは自作する工夫というものを覚えたようですね、私。何でもすぐ手に入るより、出来はどうあれどうにか作ってみるというのも結構楽しいかもしれません。自分で「こういうのが欲しい」というイメージを持つようになったら、ジェニーフレンド人形たちの洋服も作るようになるかもしれません。

私が「グロリアの物語」を書き始めたのも結局そうなんだし。(中世ヨーロッパっぽい恋愛小説が読みたかったけれど、見つからなかったからふと自分で書いてみただけ。)

・・・のわりには最近文筆ほったらかしています。
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posted by: nanori | 思い出 | 20:53 | comments(0) | trackbacks(0) |-